救癩事業でヘルストロンを寄贈した笹川良一

 世界紅卍会日本総会が発行してゐた月刊誌『日本卍字月刊』。編集発行人は林出賢次郎、笹目恒雄らが当たってゐる。合本を読んでゐたら、笹川良一がよく出てくる。笹川は道名を正謙といひ、昭和42年9月10日の訓令で東京総院の首席責任統掌になってゐる。六本木から銀座に移転した東京総院遷移祭は翌年9月。
 43年2月号(第12巻第2号)の「生命の貯蓄」では、ハンセン病(癩病)対策の一環でヘルストロンを寄贈したといふ。

一昨年は印度に、昨年末はフィリッピンに、救癩事業の一環として、百万ボルトと三万ボルトの電界ヘルストロン装置の治療設備を寄贈したが、わが国でも東京に一つ大阪茨木に一つ、百万ボルト治療所を開設し、これによって病める細胞に活力を与え、生命力の復活をさせようというのだが、必ずしも病める者を対象としているものでもなく、病める以前のあり方として、微細な細胞は幾多の原因から、疲労を重ねて、謂わば疲労の蓄積によって、病気の原因を為してゆく。
 ここに強力なヘルストロンを僅かに数秒送ってやることによって、一ぺんに各細胞間の疲労状態が解放されてゆく。

 ヘルストロンは直接病気に効果があるのでなく、疲労予防、細胞活性化のため。道院には座禅を改良した座り方があって、本来これを修めればいい。しかしそれができない人もゐるだらうから、ヘルストロンを使ふのだという。笹川は頭山翁がヘルストロンの実験台になったことは知ってゐただらうか。

 日本紅卍会は会長林出賢次郎(尋賢)、理事長呉清源(弈霊)、常務理事笹目恒雄(秀和)、黒川実(誠修)、青井堅(宜珠)、小林利雄(平安)、理事に出口伊佐男(悟天)、岩越元一郎(平奥)ら。
 カッコ内は道名。44年11月号の「道名拝領の意義」では、、道名には「その人にふさわしい、無限の修道訓が含有している」もので、これを拝領することは「これ以上の幸福はない」とされてゐる。
 京劇の梅蘭芳が求修したが遂に道名を賜らなかったことは、広く知られてゐるといふ。
 各号から道名を拾ふと笹川鎮江は福基、吉松正勝は和盛、出口京太郎は誠候、五井昌久は�・修、十河信二は雅超、椋木瑳摩[磨]太は誠彰。飯島勇は誠佈。 
 44年9月号には笹目の「台湾道院参拝旅行記」。「統一教会の久保木会長、大阪日々新聞の坪井顧問、頭山満翁の令孫達と二台の自動車で、円山グランドホテルを出て宴席都城餐庁に臨んだ」とある。
 呉清源はほぼ毎号「黙真人訓」の謹解を載せてゐる。岩越元一郎も古典に材を採った随筆を多く寄せてゐる。老祖(天御中主大神)とあるのは岩越独自の理解であらうか。
 45年1月号に「求修感懐」を書いた北条秀一は岩越の友人で、十河の指導を受けたとある。憲法擁護新国民会議副議長(議長は片山哲)を務めた参議院議員。昭和21年2月、老祖の神訓で「日本人は今後武器を持たないがよい」を受けた。その後、新憲法の軍備不保持を知った。「私は驚いた。老祖の神訓は祖国日本に実現したのである。この憲法を守り抜こうと私は決意」、護憲運動を使命にした。