紙の弾丸を贈った赤尾好夫






















 受験シーズンだから旺文社の、しかも赤尾好夫社長の書いた小冊子を読まう。

 『国家の危局に際して青年に愬ふ』は「決戦の書」。全30頁。ホチキス留めで、紙の大きさも不揃ひで、表紙からはみ出してしまってゐる。
 印刷は昭和20年5月20日、発行は5月25日になってゐる。やはり楠公を意識したのだらうか。3月9日、東京大空襲を受けたその夜に執筆したことを本文で記してゐる。
 異常な時に敢て筆を執った趣旨は、刊行の辞に表れてゐる。

敵既に皇土に上陸し皇国の隆替将に決せられんとす。一億老幼男女相携へて祖国の急に赴くの秋なり。武力戦の重要さと並行して軍需生産、食糧生産、士気昂揚の要請甚だ急なり。思想戦、文化戦の一翼を担当する出版人たる吾等の責務として、焼残りたる資材を集め破壊されたる印刷設備を修理して、その全力をあげて此処に紙の弾丸を贈る。斯る状勢下極めて不備なるを免れず、僅かに吾等の奉公忠誠の一念に免じて御許しを願ひ愛読を賜らば幸甚なり。

 思想戦、文化戦のため、資材をかき集め、印刷機械を直して発行した。
 
 執筆の夜、旺文社には火が押し寄せてゐた。

社の屋上から見れば、北、東、南一帯は火の海と化し、火は我が社の近くまで押し寄せてきた。私は敵機の退散とともに、防火活動に疲れた手にペンを握つた。この一文はこの国家興廃の岐路に立つて我が敬愛する全日本の諸君に愬へる一介の草莽赤尾の衷心からの叫びである。

 終戦直後から英語の本を出版した赤尾だが、この時は一介の草莽である。
 世間では戦局が悪化して、将来を不安視してゐる人が多いといふ。しかし赤尾は、そこまで悲観的になる必要はないといふ。アレキサンダー大王やナポレオン、元寇などの遠征のさまを叙して、本国から離れる分、遠征は困難になると分析する。曰く「実に兵力の消耗は距離に比例して、幾何級数的に増大する」「戦争といふものは算術や代数を解くやうに、その課題から結果が割り出せるものではない」。
 戦局が進めば進むほど、敵は莫大な動員が必要になる。かう計算すれば、日本が負けるわけがない。「わづか米英百万の軍隊を邀へ撃つて、しかも敗れる国民であるとしたならば、大和民族は、神の申し子の名誉のために全部割腹して果てるべきであらう」。
 さうして赤尾は、真に憂ふべきは外敵ではない、吾々日本国民の努力不足だといふ。国内にはまだ無駄があり、真剣味が足りない。

僕は極言する。日本の生産力にも戦力にもまだまだ余力がある。そしてその余力は決して困難な多くの事柄を解決しなくても、吾々の心構へをかへるだけで相当の成果を収めることが出来ることを。

 赤尾は空襲を受け、士気が沮喪するであらうこの時に、印刷事情の悪化を乗り越えて訴えたかったのであらう。出版には、戦争に与へる大きな力があることを知ってゐたからこそ、「紙の弾丸」を掲げた。
 奥付には1万部発行とあるが、実際はどれだけ読まれたものか。