三井甲之「美濃部氏の態度は個人的失礼の標本」

 『革新』は埼玉・秩父の発行、編輯兼発行印刷人は革新社代表の関根正作。手元の昭和10年4月号は6巻4号で、全38頁中、美濃部達吉問題に多くの紙数を費やしてゐる。
 三井甲之「知識的理論よりも情意的動機に帰すべき美濃部憲法論の凶逆性」は、美濃部の何がいけないか、三井が何を問題にしてゐるかが端的に示される。
 

美濃部氏自身が臣民の分際を全く忘れて増長したからして外国の憲法をそのまゝ日本に適用する如き動機、意志、行為が発生展開したのである。
即ち理論上の誤謬から凶逆説が発生展開したといふよりも寧ろ美濃部氏の傲慢不遜の態度が凶逆説として表示せられたのである。

 問題は憲法にまつはる学問的なものではなく、美濃部個人の根っこにある心情、態度にある。それが学説や文章に表れてゐるから問題だといふ。
 

美濃部学説とは一言以て之を蔽へば生意気である。お互に威張ることもなく、高慢チキの態度を示すことは無いのである。美濃部氏が申すも畏かれども、 皇室に対し奉りての生意気、高慢チキの言葉づかいは見るにも読むにも腹が立つて仕方が無いのである[。]「百二十四代を経て居る」これが美濃部氏が畏くも 神武天皇より 今上陛下に至るまでの大御世を数へ奉る言葉づかひである。気を附けろ!と叱咤したくなる。美濃部氏の傲慢の態度は衰[蓑]田胸喜氏の学術的論争の提言に対する返辞である。

 美濃部の言葉には、皇室に対する敬意が見られない。生意気である。美濃部が生意気であるから、「お互に」威張ることになってしまふ。美濃部の態度がよければ、三井の側も紳士的に話し合へるのに。さうではないから、我慢ができないのである。
 

美濃部氏の態度は個人的失礼の標本で、中学校の修身科等で失礼行為の実例として訓誨するに恰好のものである。

 美濃部の態度は反面教師として、学校の授業で教へるべきであるといふ。天皇機関説の学説といふよりも、その態度が失礼だといふ。
 そして最後に、新聞も責任を負ふべきだといふ。「重大誤謬に対する責任を負ふべきものは歴代の内閣と、流行大新聞である」「注目すべきはまづ、『新聞』である。『新聞』も威張る事に節制を加へて少し気を附くべきである」。
 無署名の埋め草記事、「国民として」では、愛国者の新聞と大新聞とは大違ひだと指摘する。その全文。

 当今社会の問題たる 天皇機関説に対する世人の態度も手に採る如く、愛国者の新聞雑誌によつて諒解されることは日本国民として誠に愉快である。と同時に世に称せらるゝ大新聞と云ふべきものが此の問題に冷淡なるは憤激に堪へないものだ吾人は飽迄も帝国臣民として国賊撃滅に力を致さねばならぬ。