河上肇の霊を降ろした古屋登世子

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 古屋登世子はキリスト教を中心にして、他宗も広く学んだとされてゐるが、神道との縁も浅からぬものがあった。
 『霊感実録』は昭和24年7月25日発行。発行所は社団法人日本心霊文化倶楽部。発行人の正木大丈が代表者らしい。裏表紙にはReisodoのマークがある。
 本文49頁で、その前に正木による発刊の辞がある。これによると、宇佐美景堂の娘の六合子が産んだ幼児が夜泣きをやめない。古屋が霊視したところ、嫁ぎ先の家の祖霊が不浄化のままだと見た。調べてみると、果たしてその通りだと分かり、真剣に供養したところ娘は元気になったといふ。

 御承知の通り古屋女史は父娘二代に亘るクリスチヤンであり、宇佐美氏は、神宮皇学館を出てから神主生活をした純神道人であります。一見相反したかに見えるものが、心霊の研究という一の奇縁で細やかに結ばれて、私の倶楽部で古屋女史の御研究が出版されようとは、今までに予想もしていなかつたことであります。

 古屋の自序もあり、そこには天から「宇佐美大人と提携協力して霊界幽界の浄化、同時に現世の災禍、疾病を解除し、地上天国招来に努力せよ」といふ啓示があったと記されてゐる。また、すでに数百枚に及ぶ自叙伝があるが、出版不況で世に出せない。今回は霊感に関するものを50枚分だけ抄出して出版するのだといふ。
 読んでみると、のちの自伝『女の肖像』には描かれてゐない降霊、招霊の不思議な出来事が紹介されてゐる。昭和4年11月に行った大阪心霊科学協会の実験会では、初めて自分の守護霊と語った。中西リカを霊媒、今井老人をサニワにして聞いたところ、守護霊は顔も名前も知らない祖父で、自分の時代にはできなかった横文字の勉強(英語のこと)を登世子にさせたのだといふ。
 東洋英和の先輩だった坂倉つる子の亡霊には祟られた。精神に異常を来たして座敷牢に入れられた娘、結核患者の霊視も行ってゐる。
 昭和22年1月30日には、一周忌を迎へた河上肇の霊を自身に降ろした。
 河上は古屋の口を借りて、

「…社会党が政権を握る時期は必ず来ます、併し全国民が覚醒しない限り、私のあの精神の実現は難しい、私の身体は滅しても魂は滅びません、いま幽明境を異にするが、私の魂は必ず社会を導き犬死には終りません私の魂は護国の鬼となります、併し護国の鬼は軍国主義的なものではない」

 などと言ってゐる。確かに、5月に社会党片山哲内閣ができてゐる。
 
 さて一番最後の広告頁を見ると、古屋がなぜこのときに著書を出版したかがわかる。宇佐美の霊相道に加はり、名古屋の宇佐美、沼津の本吉嶺山と共に、東京で霊感霊視を担当してゐる。鑑定料は一件300円。
 古屋個人としては、大陸で行ってゐた聾唖者特別治療を東京で続行してゐる。こちらは霊察診断料500円、その後治療一回ごとに100円。全快したら寄付をせよといふ。
 この本で霊能力をアピールして、鑑定や診断希望者を募る心算だったやうだ。しかしこの値段はどうやって決めたのだらうか。