ヘボ雑誌

 『趣味 法律のうら表』は高山三郎著。科学や文明が発達した今、日常生活の安定のためには法律の知識が必要だといふのが本書の趣旨で、はじめは金の貸し借りや不動産売買について記す。
 第10章刑法上の諸問題中、「執拗な広告屋」辺りから、怪しい商売人が現れる。暴力団上がりのやうな人物で、ここでは「一見して柔道なら五段格の凄いの」。月刊新聞『皇国新報』の主幹ださうで、その広告取りのために社長を訪ねてきた。

 勿論この先生は最初から広告料など言ひはしない。下司の言葉で言へば「お志」でよいといふ肚であるが、そのお志が大変なので、部数十万の一流雑誌より高いのだから助からない。けれども下手に断ると、忽ち「不忠者奴」と雷のやうなお声が出る。

 志が困るのは宗教界だけではない。
 お次は「懸賞広告成金」で、これは懸賞に当選して金持ちになった話ではない。高額懸賞の応募者から、少額の金を多数から集める手法で、ここでは俳句雑誌の懸賞が挙がってゐる。一等200円目指し、20万句が集まったといふ。一人何句でも応募できるが、応募者からは添削料として十銭を徴収する。雑誌の売上金もあるから、かなり儲けたといふ。 
 流行したクロスワードも只ではなく、二銭切手同封が条件だった。美人画の広告を出して実際は美人でないものを送ったとか、詐欺の手法が明かされる。
 注意すべきは第11章警察犯処罰例。これは刑法ではなく内務省令で、警察の裁量で「一寸来い」と言へば引っ掛けられる。

その応用が自在なのがあつて、頭の悪い者がまさかと思つてゐるものでも、立派に処罰されることになるのであるから、平常からよくよく承知して置かないと、飛んだ災難(?)を見るかも知れない。

 処罰対象の一例が広告取りで、今は一流新聞社には昔のやうな悪徳記者はゐないが、それでも小新聞や地方には残ってゐる。彼らが広告を手段に強請をする。

これは新聞だけではなく、雑誌やその他の広告にも用ひられる奸手段であり、脅迫である場合もあれば、例の無断掲載をして、後から否応なしに広告料を取りに来るのがある。

購読者のありもしない、新聞だか雑誌だかパンフレツトだか訳の判らない印刷物を持つて来て、何十円何百円の広告料をせしめようといふ押の太いのがゐるから、これを追払ふには一通りや二通りの苦労ではない。

自分では天下一品の雑誌を作つたつもりかも知れないが、いかに忍耐心が強くても読まれさうもないものを送りつけて来る。さては乃公の雷名を聞き及んで恭しく寄贈して来るなどゝ自惚れてゐると、やがて集金郵便がやつて来る。そこで初めてあんなヘボ雑誌で、よくも代金を取れる気でゐられるものだ、と憤慨する。

 さてこの本、手元のものは昭和6年2月20発行で、昭和8年7月15日に2版発行。成光館出版部発行。初版から2年以上あとに2版になってゐる。
 国会図書館にはこれより早く、昭和6年に黎明社から出てゐるのがあるが、特表記があるので発禁になってゐた筈。昭和14年に富文館書店からも出てゐるが、これは初めに紙が貼ってあって、数頁を削除するやう指示。これも特表記がある。しかし成光館版は削除もなく刊行されてゐる。なぜこんなことができたのであらうか。
この本の序に曰く
 

機あらば他の欠点に乗じて一仕事してのけよう、隙あらば他人の利益を我が物としてやらうと虎視眈々たる行き方をしてゐるのが現代人のやり方で、そこには親、兄弟等の差別すらもない。といふさもしい横着な心持ちが、殆んど現代人の通有性たるかの感がある。道義心の頽廃亦極まれりといふべきではあるまいか。