2013-01-01から1年間の記事一覧

三上卓の依頼で大山倍達と対決する飯嶋勇

『灼熱裂帛の士師(しすい)』は平成13年10月に亡くなった飯嶋勇の遺稿集。平成21年発行で、発行所は築地の天山同人といふ謎の組織。企画・編集は中野の桜岳社。 8割は飯嶋の遺稿だが、前半に載ってゐる飯嶋の伝記部分に惹き込まれた。執筆者は土生良樹…

右翼と講談‐新橋軒の渡辺春山

『渡辺畔はこんな男』は、荒川区荒川二丁目にあった、東京時事新聞社発行。昭和50年5月。一風変った書名だが、同社創立者の渡辺畔(ばん)について、67人が執筆したもの。だけれども人数が多く、一人の文章が少ないので、渡辺の輪郭ぐらゐしかわからな…

内田良平「猫じや猫猫寝て暮らす」

内田翁の『歌袋』が1000円だったのでつい買ってしまふ。国士で右翼の歌集なので身構へてしまふけれども、さう武張ったものではない。いはゆる箱根時代の病中詠なので気弱だったり、俗謡が多かったりする。 猫の俗謡はかう。 玉や玉吉お前はなぜに 眠つてばつ…

夜店で本売る谷孫六

『財の教』(財教社)は谷孫六(本名矢野正世)が創刊した雑誌で、表紙に「立身成功修養致富利殖蓄財の研究」とある。ざっくりいふと金儲けの雑誌で、谷はその道のアイディアマンとして一世を風靡してゐた。 手元の2巻1号は谷孫六追悼号。昭和12年1月発行…

坂本龍馬の純愛とウヒヂニ、スヒヂニの神

『神風純愛教略解 全』(神風会出版部発行、明治43年8月発行、編輯人酒井恒矢)読む。宮井鐘次郎の神風会のものだが、本書中に宮井の名前はなし。自序は酒井尋牛名義。 小冊子だが100ページ超なのでなかなか詳しい。神風純愛教の教義について平易に説いてゐ…

八八青年会に入った頭山翁と、繁盛する同邸前

『度胸の一生』(昭和35年、非売品)は、憲政会所属の議員、高田良平の自伝。戦時中の頭山邸の様子が出てくる。 戦時下、高田らは軍部の目を避けながら講和運動を進めるため、隠れ蓑となる団体として八八青年会を組織。88歳になっても健康でいようといふ穏…

とある地図の出版に協力する星一と反対する奥村喜和男

『巨人頭山満翁』の書名のあるもののうち、鉄道公論社から昭和57年に発行されたものは、土谷哲靖(義輝)がまとめたもの。9割は『正伝』を抜書きしたものだけれども、ほんの少し書いてある著者と頭山翁との関はりが面白い。 土谷は昭和16年、頭山邸を訪問。…

竹村猛児の横顔

竹村猛児は昭和十年代に医療随筆を物した作家で、十数冊の単行本のほか、『新青年』に寄稿してゐたので、その名が残ってゐる。 はじめに菊池寛と徳富蘇峰が推薦し、そののち吉屋信子、木村毅、齋藤茂吉も称揚した。その割りに戦前の著書を読んでも経歴が今一…

ポール・リシャール「バハ・オラは確かに立派な預言者だ」

北署吉が主宰した『猶興』、昭和27年2月号(1巻2号)に、河合譲といふ人が「バハイズムの思い出」を書いてゐる。早大・トロント大卒で、元立教と台北高等商業大学の教授、元『学苑』編輯長とある。 大正4年、早稲田の学部1年の秋か翌春にアレキサンダー女…

カルピスの広告100万枚を配らせた下位春吉

カルピス創業者の三島海雲の『初恋五十年』(ダイヤモンド社、昭和40年)は新書版だけれども、三島の意外な交友が興味深い。杉村楚人冠ら仏教者と深いといふのは知ってゐる人は知ってゐるけれども、烈士横川省三と一緒に写った写真があったりする。 三島は宣…

人類愛善会に共鳴する永田美那子

昭和青年会の『昭和青年』昭和7年3月号(第3巻第3号)を読んでゐたら、永田美那子嬢を見つけた。 宇城省向「満洲戦線に踊る彼女」。3頁弱の短いスケッチなのが惜しい。 永田は石川県出身。万朝報の女性記者。元来は小説家とも書いてある。弾薬の運搬な…

小島晟功「完全に絞め殺して御見せ致します」

同志社出身なので、少しは大河ドラマの余沢があってもおかしくない気もしなくもない品川義介。『何でも腹だ』(大隣社、昭和13年)には、頭山翁邸に集った奇人たちが出てくる。 80歳近くで極寒の隅田川を泳いだといふ阪本謹吾の次に紹介されてゐるのが小島…

泣くほど笑ふ蓑田胸喜

『みくに』昭和14年1月号(5巻1号)を読んでゐたら、蓑田胸喜を見つけた。 岩越兄の御紹介で蓑田胸喜氏に面会を乞ふと、御多忙中だのに、みくに医院まで飛んで来て下さる。御病気は、などと気にかけてきい[て]下さる御様子は、初対面の方とはどうしても思…

桜澤如一「何と云ひ様のない荘厳な宴会になります」

続き。同号には、みくに同人の松野重正と、新興生活館常務理事で修養団総務の岩田軒造の息女との結婚式の様子も報告されてゐる。これが一風変った式で、「日本精神と基督教との融合せる理想的の形式」「食養会式の理想的料理、神ながらの献立」。 具体的にど…

今泉みね「之も徳川時代の罰かも知れないと思ふのであります」

『みくに』の昭和12年5月号・3巻5号は今泉美根の追悼特集。今泉が徳川時代を回顧した口述は評判が高く、東洋文庫に入ってゐるので、のちのちまで広く読まれることと思はれる。 その掲載誌の『みくに』は、日本精神と基督教が交差した機関誌で、日本神話と…

山カン横丁のブラック新聞社

『大日』の昭和11年11月15日号(第139号)を読んでゐたら、「随筆 つめ弾」(湯朝竹山人)といふ興味深い回顧録があった。 明治の末から大正の初めころまで、第一生命の南あたりの丸の内の中心は雑草茂る武蔵野だった。その辺りにはインチキ会社や商店が立ち…

福羽美静「お札や大麻の金で、飲んだり食つたり」

今年は神宮と出雲大社の両方で遷宮があるので、いろいろ活発になってゐる。神宮の金の座と米の座といふのも、そのうち当局が喧伝し始めるのかもしれない。 『闇夜之灯』は渡辺重石丸の道生館の機関誌。発行兼編輯人藤野達二。明治29年6月24日発行の第17号は…

幡掛正浩「頭山先生の顔はあたかも日本といふいのちの化貌」

『理想日本』の昭和18年10月号に、幡掛正浩「面(つら)とミコト」が載ってゐる。和辻哲郎の「面とペルソナ」を論難したもので、「この書物の表題に苦笑する」とか「人はあまりの馬鹿馬鹿しさに呆然とするであらう」とか舌鋒鋭いものがある。 尤も面貌に気迫…

救心の広告塔になった伊藤東一郎翁

110歳で富士登山を敢行したことで世間を賑わせた百十翁こと伊藤東一郎翁(その後年齢の計算違ひが発覚したとか)。『婦人と修養』(婦女界社)の昭和13年9月号の広告ページに、「日本一の心臓」と題して大きく取り上げられてゐる。登山姿は背筋が伸び、…

大隈重信「本じゃ、本じゃ」

続き。突然休職を命じられた佐藤孝三郎が大隈重信のところに挨拶に行ったら、次のやうに慰めてくれた。 大隈侯に伺えば、「今度は気の毒だった。まあまあこういう時は、本じゃ、本じゃ、本に限るんじゃ。暇にまかせて読書が第一。寺内が総理になったが、あの…

有松英義内務省保安課長「それでは盲判を押すからね」

続き。佐藤孝三郎は明治33年5月に内務省警保局図書課属として採用された。月給35円。当人にとっては金殿玉楼中の人物になったやうで、夢の如しだと喜んでゐる。 局長は安楽兼道。初日に電話をかけるやうに言付かったが、架け方がわからず困ってゐると、関…