福羽美静「お札や大麻の金で、飲んだり食つたり」

 今年は神宮と出雲大社の両方で遷宮があるので、いろいろ活発になってゐる。神宮の金の座と米の座といふのも、そのうち当局が喧伝し始めるのかもしれない。

 『闇夜之灯』は渡辺重石丸の道生館の機関誌。発行兼編輯人藤野達二。明治29年6月24日発行の第17号は神宮教批判。巻頭論文は「いはぶえ」名義による「逆剥」。神宮教は自らを「国家神道なり決て宗教に非ず」と称してゐる。一方、「宗教神道の為す所を為し行ふ所を行ひ、傲然他の宗教神道を蔑視し、其の上位を占めて得々たり」。

 国家神道と宗教神道教派神道)のいいとこどりをして、けしからぬといふ。小見出しは「蝙蝠神道」。部下が大麻を偽造して法に触れたなど、いろいろと神宮教の不祥事を論難し、「神宮教は宜く神宮司庁麻暦頒布取次処と改称すべし」と提案する。

此の如き神宮教の内幕談、書立て来れば筆亦禿せんとす、吾人はかゝる醜陋の徒と大人気もなく筆戦するの甚馬鹿々々敷を感じ、幾度か其筆を抛たんとせしかども

 神宮教側の放言が目に余るので、概要をしめしたのだといふ。
 別の「特別寄書」の項にあるのが「福羽子爵談話の一節(神宮教も悪いが神宮司庁もよくない)」。
 福羽美静は神宮教批判には賛成だが、これを全廃する意見には賛同しなかった。そもそも福羽が「皇祖の御威徳を簡易に人民に知らせて大道を普及させようと云ふ考で起した」から。しかしそれにしても「神宮司庁のお札配りのやうに成つて終つて更に効力がない」。

私も今の神宮教の篠田や藤岡を知つ[て]ゐるが、何時も云ふてやる、「お前方は(少しも是と云ふ仕事もせんで)、お札や大麻の金で、飲んだり食つたり許してよいか」といつてやり升が(どうも人物のないには困る)其故に其撃つべき穴を捉へて彼方がお撃になるのは、私も至極同感に思ひ升