カルピスの広告100万枚を配らせた下位春吉

 カルピス創業者の三島海雲の『初恋五十年』(ダイヤモンド社、昭和40年)は新書版だけれども、三島の意外な交友が興味深い。杉村楚人冠ら仏教者と深いといふのは知ってゐる人は知ってゐるけれども、烈士横川省三と一緒に写った写真があったりする。

 三島は宣伝・広告にも力を入れてゐる。大正9年の伝書鳩レースには山階宮、宮城道雄の琴の独奏会には久邇宮一家の御台臨を仰ぐなど、大評判だった。
 
 大正の末に行われた宣伝は大がかりで、ムッソリーニのメッセージ「全日本青年男女諸君へ」を100万枚印刷・配布。うち10万枚を飛行機で東京市内にばら撒かうといふ奇抜なもの。はじめに話を持っていったのは旧知の沢柳政太郎で、沢柳から下位春吉を紹介される。
 

ムッソリーニの同意を得るには、直接依頼するよりは、イタリアに下位春吉という男がいて、これがムッソリーニと親密にしているから、下位を通して依頼したほうがよかろうということで、さっそく親書を下位に送ってくれた。
 ムッソリーニは、この申し出を快く受けてくれた。そして、しばらくしてから、羊皮紙三枚にわたって鵞ペンで書かれた見事なメッセージを贈ってくれた。このメッセージの原文を戦争のごたごたで、いずれかに紛失してしまったことは、まことに残念でならない。
 ムッソリーニからの全文を下位が翻訳し、これを朝日新聞をはじめ多くの紙上にカルピスの社名でもって掲載した。広告というより、公告といったほうがよいだろう。

 新聞と別に10万枚を印刷したやうだ。広告に下位の名前があったら、これでだいぶ有名になったのではないかと思ふ。

 ムッソリーニへの返礼には沢柳、渋沢栄一後藤新平が名を連ね、鎧と兜も贈ったといふ。