今泉みね「之も徳川時代の罰かも知れないと思ふのであります」

『みくに』の昭和12年5月号・3巻5号は今泉美根の追悼特集。今泉が徳川時代を回顧した口述は評判が高く、東洋文庫に入ってゐるので、のちのちまで広く読まれることと思はれる。
 その掲載誌の『みくに』は、日本精神と基督教が交差した機関誌で、日本神話と国体の尊厳を説き起こした異色のものだった。
「母堂の記事は『みくに』の異彩であつた。他の記事は読まないがあれだけは毎月楽しみだといふ読者の声を聞いたのも一度や二度ではない」。尾佐竹猛も熱心な愛読者だった。
 今泉の絶筆は

 ほんとに長い間皇室に対し忠義の足りなかつたことを悔い、立派に死ななければならなかつたのでございます。私も八十三になつて此頃神経痛で苦しみます度に、之も徳川時代の罰かも知れないと思ふのでございます。

 かう見ると、今泉は徳川の罪を自分に引き受けて、明治以降は皇室への罪滅ぼしを思ってゐたと知れる。

 岩越元一郎も「みくにの『おばあさま』」を寄せてゐる。

 今日の教育は甘い教育である。ミルクキヤラメルの教育である。子供に皆んななめられて仕舞つて居る。学校教師なぞは腰抜けが沢山居る。おばさまの様な人を中学校々長にしたら実に面白かつたらうと思ふのである。頭山満翁をあれだけの人物にしたのは高場乱と言ふ婦人である。男まさりの婦人であつて、十人前位のあばれ小僧の頭山満も此の婦人の前には、猫の子の様におとなしかつたと言ふ話だ。おばあさまもあれで下町に生れたら、必ず本当の「あね御」になられたと思ふ。