三上卓の依頼で大山倍達と対決する飯嶋勇

 『灼熱裂帛の士師(しすい)』は平成13年10月に亡くなった飯嶋勇の遺稿集。平成21年発行で、発行所は築地の天山同人といふ謎の組織。企画・編集は中野の桜岳社。
 8割は飯嶋の遺稿だが、前半に載ってゐる飯嶋の伝記部分に惹き込まれた。執筆者は土生良樹とノンフィクション作家の北之口太。北之口の「解説にかえて」によれば飯嶋は大正10年5月生まれで栃木県小山市出身。拓殖大学卒業後、「日本最初の警備会社」、特別防衛保障を組織して、労働組合の暴力に対抗。その武闘派ぶりが話題になった。力に覚えのある若者を拓殖や神道系・仏教系の大学から募集。共産主義新左翼は敵だと言ってゐる。
 五一五事件の三上卓を師と仰ぎ、同事件の坂元兼一が組織した坂元挺身隊の一員として大陸で活躍。東条英機暗殺事件の武器・資金調達のために北京に来た三上との集合写真もある。
 終戦後は三上の所沢共同農場に身を寄せた。食糧事情が悪いなか、三上を援助したのが西武の堤康次郎
 米兵や闇市の華僑らを襲撃してゐるうちに三上から言はれた依頼が、目白の「川島学園」(川村学園か)を不法占拠した朝鮮人の排除だった。その学寮の寮監が大山倍達だった。
 

 寮監室の席に着いた飯嶋に相対した大山は、巨体を揺すり顔を赤らめながらテーブルをバーン、バーン、バーンと激しく叩き威嚇してくる。「この野郎。俺たちを立ち退かせるつもりなら、チャカ(拳銃)でもドス(短刀)でも持ってこい。相手になってやる」。動の大山と静の飯嶋。朝鮮民族の国士・大山対日本民族の国士・飯嶋。大山の威嚇がひと段落ついたとき、飯嶋が、裂帛の気合を込めて言った。
「この飯嶋が相手しよう」。
 この一言に、大山は居住まいを正した。

 折れた大山はのちに、極貧生活でやせ細った飯嶋にバターを持参してねぎらった。いい話だ。
 後半には、拓大の中曽根総長に反対する飯嶋と支持する四元義隆の談話とか、飯嶋と評論家の戸川猪佐武との対談が出てくる。
 どれも興味深いが、いつぞや産経で連載してゐた拓大とのタイアップ「紅陵に命燃ゆ」には飯嶋の名前を見た記憶がない。何故だらうか。そもそもこの本がどこにもない。なぜかういふ本が手元に集まるのであらうか。

 気になる飯嶋夫人のこととか、巻頭にある三上卓との写真はまた今度。