夜店で本売る谷孫六

『財の教』(財教社)は谷孫六(本名矢野正世)が創刊した雑誌で、表紙に「立身成功修養致富利殖蓄財の研究」とある。ざっくりいふと金儲けの雑誌で、谷はその道のアイディアマンとして一世を風靡してゐた。
 手元の2巻1号は谷孫六追悼号。昭和12年1月発行。全編谷の追悼文で占められてゐる。グラビアの短冊には「使つても溜めても金は面白し」「思ひ出し笑ひは紙幣へコテをあて」など書いてゐる。
 義兄の龍澤慎作が「新聞記者になるまで」で、若い頃の谷のことを書いてゐる。

 本郷肴町の夜店で本を売つたことがあります。晩年は盛んに講演をやりましたが、この頃から弁舌爽かなもので、頗る話術が巧みだつたので、夜店の客が多勢集り、飛ぶ様に本が売れてゆきました。ところが、この社会は縄張りのやかましいもので、急に見も知らぬ田舎青年が飛び出して、大いに儲けてゐるので、凄い奴がやつて来て、矢野をひつ捕へて、とてもおどかしたらしいのです。これには流石の矢野も度肝を抜かれてしまつて、「凄いもんだな」と吃驚して内へ帰つて来ました。

 今でも縄張りはあるやうだが、売り方は静かなものである。


 万朝報では黒岩涙香の下で給仕などしてゐた。そのあと東京毎夕新聞の記者採用に応募。茨城弁をそのままに書いたところ、東京毎夕新聞社会部長でのちの新聞研究所所長の永代静雄の目に留まって採用になった。

 そのほか甲賀三郎正力松太郎も一文を寄せてゐる。