修学旅行は伊勢から広島へ

 オバマが伊勢から広島に行くといふので色々大変だった。
在日朝鮮人に投影する日本』(大阪朝鮮人社会・教育研究所編、法律文化社、昭和62年)の内容は、書名だけでは分からない。伊勢神宮が修学旅行先になってゐることを問題視したシンポジウムと4つの座談会がまとめられてゐる。シンポは同年開催の「在日朝鮮人児童の伊勢神宮強制参拝を考える4・26シンポジウム—新しい皇民化教育の現実の中で—」。
 伊勢修学旅行批判は、読売新聞によるキャンペーン「現代のお伊勢参り」に遡る。それを某市教組が取り上げて拡大した。
 中道保和大阪府職員組合教文部長によれば、大阪府の小学校の約6割が伊勢方面で、その多くが伊勢神宮に行ってゐるといふ。パネリストたちは、大阪には在日の児童生徒が多いのに、これでは戦前の内鮮一体、皇民化教育を反省してゐない、学校関係者もなぜ今まで気づかなかったのか、と指摘してゐる。当時は、現在の排外主義や差別とは正反対のことが問題とされた。
 ディスカッションでは、旅行先を伊勢神宮から広島にした事例も報告され、学校や保護者が保守的で大変だったといふ。構造的にも、予算や交通、日程が決まってゐて、それに合はせると自然に伊勢神宮になってしまふといふ声もあった。
 教員による座談会では、修学旅行専用列車の「あおぞら号」は2年前から予約が必要なこと、校長の権限、前例踏襲の雰囲気などが槍玉に挙がる。旅館や業者による「濃厚なサービス」ともあるが詳しくは広がらず。他にも在日朝鮮人通名や歴史教科書、政教分離などにわたり、それぞれ在日や教員、学者らが意見してゐる。伊勢神宮神道には否定的な論者ばかりなので、「国家神道イデオロギーは、国家権力による強力な支えなしには、民衆は受けつけない。一宗教法人に過ぎなくなったら、そんなところへはふつうの民衆は行かなくなった」(金定三同研究所代表)といふ発言もある。
 教育評論家の徳武敏夫はもと中教出版勤務。民主主義科学者協会では三笠宮殿下も見かけ「非常にきさくな人で、私たち庶民と少しも変わっていませんでした」と好意的だ。初期の検定教科書を作成してゐた中教については、

あんならくな会社、らくな従業員ってないと思いました。文部省の役人が書いてきた原稿を、一字一句たがえずに活字を組んで校正し印刷して製本すれば、あとは何もすることがないんです。

 と、ゆとりある職場だったと証言。徳武は、検定で天皇ファシズム天皇制といふ文言は削れとされたと報告する。
 別の座談会では日本キリスト教団牧師の桑原重夫が、「ファシズムの再来、あるいは以前の天皇制を復活して絶対主義的に強化しようというねらいだけでなく、むしろさまざまなものを利用して人びとの間に共同体意識を生み出して」、下から支へてゐるといふ。天皇制だけでなく、民衆からの面も必要だとしてゐる。
 シンポジウムでは会場から、伊勢から広島に変更することで、逆に問題が見えにくくなってしまふのではないか、「場所を変えれば解決したという問題じゃない」といふ人もゐた。