竜虎相撃つ‐佐々木武行と闘った佐々木四郎

 古書会館からもほど近い病院。創立者、佐々木東洋の胸像がある。その孫が佐々木四郎。北京から上海に渡り、得意の柔道で数々の難敵たちと闘った。岩田富美夫の跡目を継ぎ、大化会会長にもなった。
 『武士(さむらい)・佐々木四郎』は佐々木四郎の数奇な半生を描いた稀書・奇書。平成3年11月発行、発行元は横浜の佐々木四郎米寿を祝う会。著者は山崎雅彦となってゐる。本体の背は無地で、函の背に書名と著者名を記した紙が貼ってある。
 写真には薬局を開いた父、佐々木東水の弓道着姿や、スタヂオで撮ったやうな四郎自身の近影、戦前の相撲やボクシング時代の様子もある。
 文章は読み物風で、敵同士の会話も記してゐるので脚色もあるだらうが、迫真の描写は佐々木本人からの聞き取りもあるだらう。
 佐々木四郎は明治38年1月生まれ。慈恵医専予科でやめてしまひ、父から義絶される。大陸に渡り得意の講道館柔道で頭角を現はし、警察署の柔道師範を務めた。飛び入りした相撲でも大相撲の力士を下した。噂を聞きつけてやってきた天鬼将軍の薄益三は、佐々木が学問を途中で放棄したことを説教する。ますます反発する四郎と天鬼が激突する。

四郎の顔面をとらえようとしたとき、天鬼は頭から壁にたたきつけられていた。四郎は、猪突猛進してくる天鬼の左腕を、逆にとってしめあげると、浮落しの技が、見事に天鬼の巨魁をとらえていた。一瞬、天鬼は強い脳震盪をおこして、大の字にのびてしまった。
 こんな奴にかぎって、みせかけだけで大言壮語し、天下国家を論じたがるものだ。こんなものが馬賊の頭領だなんて威張りくさって、天下に横行しているのだから、まったくナンセンスである。もっと懲らしめてやれ。そう考えると、四郎は部屋から剃刀をもってきて、天鬼の見事な鼻髭と顎髭を、半分だけ剃り落してしまった。

 上海に移ると、日本人倶楽部の尚武会で柔道師範になった。ここでは嘉納(書中では加納)健治の始めた異種格闘技戦、柔拳道に参加。ライトヘビー級チャンピオンの黒人ボクサー、デメトリオに勝利する。また大化会の青年部長、川原哲哉や中国人学生らと安南人民解放戦線を名乗り、フランス大使館に爆弾を投げ込んだりした。
 日本人を救ふため、シャンハイムニシパルコンセル(上海工部局=警察)と大立ち回りを演じたところ、そのジャパニーズブランチ(日本隊)私服ディティクティブ(刑事)として勤務するやうになる。
 この辺りから白人と日本人と中国人が絡み合ひ、混沌としてくる。佐々木は白人警官に柔道を教え、佐々木は射撃とその対処法を学んでゆく。佐々木はビッグ・ササキとして一目置かれるやうになる。
 工部局にはリザーブ・ユニット・ブランチ(撃ち殺し専門隊)が結成され、佐々木がチーフとなった。車の色からレッド・カー・ブランチともいはれ恐れられた。秘密結社・青幇と敵対したり協力したりする佐々木。遂には杜月笙を立会人として、青幇と血盟を誓ふ。以後、青幇の武術をも身につけることになる。
 終盤に描かれるのがアメリカン・ギャングとの対決。麻薬取引の火種が燻る上海。ギャングが送り込んだのがアル・カポネの兄弟分、佐々木武行。高知出身の武闘家で、アメリカに密航。アウトローの世界で暴れまはった。別名イエロータイフーン。四郎の部下が襲撃されたり、人質をとられたりするなか、遂に武行が提案する。
「俺とさしで勝負しないかい。もちろん素手でさ」
 佐々木四郎と佐々木武行。ビッグ・ササキとイエロータイフーン。笑ふのは青幇かアメリカン・ギャングか。日本を離れた二人の格闘家が上海で拳を交えた。