明治天皇御尊像100基建立を計画した美平晴道

 『全貌』昭和44年11月号は読める記事が多い。グラビアは「自民党の安保PR作戦」で、ホステスに向けた安保説明会。浪越徳次郎や辻寛一が演壇に立って居る。特集は「強くなった警視庁の首都防衛計画」。「暴力学生を一網打尽にするトラの巻」として、機動隊の陣容や作戦など手の内を明かしてゐる。スピーカーからタンゴを流して士気を阻喪させる作戦などどこまで本気だったのか。
 前年の昭和43年が明治百年。「明治天皇銅像百ヵ所建立に待った!」を、銅像研究家の杉田幸三が書いてゐる。建立計画の提唱者は明治天皇銅像奉賛会で、会長は美平晴道、副会長は松平俊子、理事長内藤勇。顧問には菊池義郎ら衆参両院議員8人。1体につき487万円を負担。すでに130ヶ所の申し込みがあり、それを100ヶ所に絞るといふ。
 これに対し水野久直赤間神宮宮司明治神宮の伊達巽権宮司宮内庁などが反対や不賛意を表明した。水野の意見として

日本人は天皇の名を使われると弱い。天皇を振りかざせば無条件に賛同する、其の虚を利せんとする向きなしとはいわれぬ

 のほか、銅像を野ざらしにすること、ご尊顔がまったく似てゐない、など反対理由を挙げてゐる。伊達氏も、確かに聖徳記念絵画館中心のドームはご尊像を安置するために造られたが、偶像崇拝になるため中止したこと、不敬事件など管理運営の問題などを語ってゐる。
 美平会長のコメントもあり、「屋・室内に置いて民衆から遮蔽するより、一人でも多くみてもらって実物教育に資したい」「暴挙はあくまで暴挙、それをおそれて建立せずでは何にも出来ない」と反論してゐる。
 双方とも、「気持ちは分かるが」といふ言葉を付け加へてはゐるが平行線だ。
 杉田の言葉として「本当に日本の立直りを期するためには、いささかの金銭をも媒介とせざる運動が基本でなければならぬ」とある。間もなく明治百五十年。