中昭公司を興した岡崎善平

 『現代土佐人物萬華鏡』(田村真一、叢文社、昭和47年12月)には、土佐出身の人物74人が紹介されてゐる。議員から官僚、財界人まで幅広く、同郷や同窓、家族関係がわかる。当人だけでなく、しばしば関係する人物に脱線する。
 中でも異彩を放ってゐるのが岡崎善平。大正5年土佐山田町生まれ。小見出しは「狂瀾怒濤の大陸時代―今は静かな第二の人生」。三角眉毛と前を見据えた目に意志の強さを感じさせる。
 産経の中山了専務と同郷で、子供の頃から知ってゐた。柔道5段。満洲国協和会から満洲国治安部を経て昭和通商。大岸頼好も山田町出身で、昭和通商香港支店長。
 佐々木武行と岡崎の父が中学時代の友人。佐々木は上海の海軍特務工作機関にゐて、「凄い怪物」とされてゐる。

若い頃アメリカに渡って、その人を喰った行動でアメリカ人の度肝を抜き、ギャングなどにも恐れられていた存在。戦前、戦中にかけては、南支那海での大掛りな海賊的活躍で英米や中国政府までも震えあがらせていたと聞く。

 終戦後は高知に帰って悠々自適、吉田茂を馬鹿にしてゐた。
 岡崎は佐々木の甥の岡本勝政の下で働いてゐた。海上挺身隊といふ特務機関だった。その後、昭和通商の仲間と中昭公司といふ会社を作り、タングステンの収集、接敵地区からの米の搬入などに暗躍したと語ってゐる。
 刊行当時の肩書は南関東自転車競技会理事。競輪の振興団体で、千葉と松戸は岡崎が支部長を兼ねてゐた。