上杉慎吉「試験の朝は一種緊張した愉快な気持がした」

 『三百三十三名家 洗心道場』は日本新聞編輯局編、昭和4年3月発行。日本新聞の1面に掲載された、名士333人の論説をまとめたもの。題字は小川平吉。装幀は殿木眞。
 新聞の名前通り、「其基く思想は日本主義の上にあります」のが特色。いはゆる日本主義的な人が目につく。どれも短文で、ありきたりなもの、現代ではピンとこないものなども多いが、有益なものもある。
 神崎一作、宮地直一、村山惣作、宮西惟助、山口鋭之助が並ぶが、これは新聞の日付順かわからないが壮観だ。山口は「山陵と神社」。

従来、すべての墓所は山陵に至るまでこれを穢らはしいものと考へて来た。しかもこれと反対に神社は神聖なところとして来た。(略)この間違つた思想を如何にしてたゞすべきかといふ問題が第一の問題であつた。

 と語り、神道を国教にして、一生この問題に取り組むのだといふ。
 川面凡児の題名は「八百万神」。

天皇は明津身としての生き神であらせられ、下臣民は現津身としての生き神である。上下挙つて荒人神である。上下悉く聖者であり、預言者である。八百万神でなくてはならぬ。

 天皇も臣民も荒人神で、ともに八百万神であるといふ。のちに満洲国皇帝がアラヒトガミかどうかが問題になったが、このときは新聞の1面でも問題なかったやうだ。
 三上参次は「言葉と思想」。三上は乱暴な言葉を使ふと感情も荒くなる、革命といふ言葉がはやるのも問題だといふ。

 曰く、万年筆の革命、曰く、風呂釜の革命、曰く何、曰く何、実に多い。(略)かく人々が平気で革命の二字を口にし筆にするときには、これになれて感情も思想も革命といふ二字をさまでに怪しまず、我国に於てはこの二字がこれに相当せる西洋語を使用せる国家と大に相違せる点あることをも忘れるようになりはしないかと心配せられるのである。

 白井光太郎前東大教授は「伝統的生活」。青年時代、皆欧米崇拝熱に浮かされてゐたが、白井はそれが残念でたまらなかった。「私は鉛筆、手袋、襟巻、帽子の類は勿論、大学の制服さへ用ゐなかつた」と、洋風のものを排して伝統的な生活を心がけた。鉛筆は平成の世では旧式な道具だが、白井は鉛筆ではなく筆と墨を使ったのだらう。
 上杉慎吉は「試験」。最近試験地獄などといって非常に悩む学生が多いが、上杉は「試験が厭だと考へたことがない」といふ。

試験の朝は一種緊張した愉快な気持がした。大学時代には母親が試験は学生にとつて戦場に行くやうなものであるといつて、試験場で着る着物を全部新調して古郷から送つてくれた。(略)試験が苦痛になるのは要するに意気地がないからだと私は考へてゐる。