大山郁夫や張学銘、薄益三を襲った赤星猛嗣

『関東やくざ者(もん)』(藤田五郎徳間書店、昭和46年発行)、手元のものは昭和49年の11刷と版を重ねてゐる。
 鶴見騒擾事件を扱った「鶴見の硝煙」など全7章。そのうち「満蒙を疾駆した銀座の狼」の章が興味深い。これはボクサーだった赤星猛嗣の波乱の生涯を描いたもの。読み物風だが、著者は赤星から直接聞き取ってゐる。
 赤星は明治38年8月、神田の生まれ。嘉納治五郎の甥、健治に招かれて神戸でジムに所属、上海でも試合をした。昭和3年3月、馬賊の天鬼こと薄益三が岩田愛之助の悪口をいひふらしてゐると聞き、帝国ホテルの薄と町野武馬を襲撃。ところがかへりうちに遭ふ。悪口は誤解で、赤星は薄からチョコレートをもらった。

赤星がチョコレートという名の菓子を、はじめて口にしたのは、このときであった。以来、赤星はチョコレートを口にするたびに、ほろ苦い甘さとともに、天鬼と町野武馬の大きさを思い浮かべるのだった。

 4月、新労農党の大山郁夫に不満を漏らす岩田と嘉納の会話を聞き、大山を東京駅で襲撃。アッパーをくらはせて大山の眼鏡は吹っ飛んだ。このときの警察の対処は同情的で、赤星や野口進らは一人も勾留されなかった。
 昭和5年3月、張学良の弟で、日本の陸軍大学校に留学してゐた張学銘を銀座のカフェーで襲撃。張は退学し、頭山翁の計らひで帰国した。赤星には林逸郎と角岡知良の弁護がついた。
 そのほかにも、ボディーガードをした近衛文隆、「階段投げの佐々木」の佐々木四郎、とある薬品の運搬指令を出した里見甫、映画のマキノ一族らが続々でてくる。マキノ光雄は里見一門で、赤星と同じ釜の飯を食ったさう。



・おさんぽ神保町、紅楼夢が紅桜夢になってた。何万部刷ったのだらう。