熊谷久虎「俺は仙人だ」

 『どん』は千代田テレビ電子学校放送芸術学部発行の非売品。
 昭和52年3月発行の春季号には38人の有名人がアンケートに答へてゐる。好きな言葉を聞かれた回答で、田中小実昌は「好きな言葉などというのは、自分を安っぽくダマしているようなのがおおい」。ワースト番組は何かといふ質問に答へた玉川一郎は「バカ気ていてミーハー的な、国民性を思わせるもの。ナンバー・ワンはNHKの『紅白歌合戦』」。
 ワイド特集「テレビ番組はこうして作られる」では、NHKが一日の最後に映してゐた日の丸について、撮影者や撮影場所を明かす。
 森山幸晴学部長は別荘に熊谷久虎を訪ねて対談。熊谷一人が話したやうに編集したのが「放談 ひとすじの道を生きてきた」。これが目が覚めるやうにべらぼうに面白い。森山の前置きが3頁。熊谷は和服に懐手をして写真に納まってゐるが、こはもての感じはしない。熊谷の放談は13頁にわたる。
 東宝の助監督の面接に来た石原慎太郎を不採用にした。石原を採ると熊谷の甥っ子が入れなくなってしまふから。
 その後の小見出しだけ挙げると「ノイローゼで自殺未遂」「『バカになること』と悟って」「左翼青年として」「一ヵ月の予定が三カ月かかる」「終戦の工作に奔走」「九州独立の構想」「五島慶太を一喝する」「連合軍司令部に乗りこむ」「溝口健二黒沢明」「三島由紀夫の思い出」。
 青年時代、何度も自殺を試みるが失敗し、古本を読んだり、空腹で水ばかり飲んだりし、撮影所でも他人と交はらない。笑顔の研究をしてだんだん打ち解ける。友達が京大にゐて、左翼思想になじむ。撮影は時代考証に凝って大幅に遅れ、興行的にも失敗してホサれる。大陸では懸賞金を掛けられ、軍の護衛を受けながら撮影する。
 戦後、共産党から、役職に就くかソ連の秘密党員にならないかと打診される。

 それで俺は、バカもーんと言った。俺は、昔は左で今は右、ということになってるが、俺には昔も今もない。俺は、俺の信ずる道をまっしぐらに歩いてきただけだ、と言って、断わっちゃった。

 小見出しに挙げた人々との逸話も面白い。「妹」も少しでてくる。話し方では(笑)が多い。17はあり、そのほかにわっはっはといふのもあり、よく笑ふ。そのなかに、「その当時、日本の資本主義は世界一悪質な資本主義だと俺は考えていたからね」などど不穏な言葉が出てくる。
 熊谷は日頃「俺は仙人だ」と言ってゐたともあり、なかなか常識では計り知れない。