平泉澄「雑学を排し、正しい学問をしなければならん」

 平泉澄『正学』は昭和16年3月、福井市宝永尋常小学校内、不忘会発行。「正学」(昭和13年8月6日)、「神仏関係の逆転」(昭和2年7月)を収める。「正学」からは平泉の学問観がうかがはれる。

唯漫然と書物を読み、漫然と色々の人に接し、自分はどう云ふ書物を読んだ、誰の説を聴いた。斯やうに博覧を事とするなれば実に雑学と云はなければならん。正学に対する雑学である。(略)今日の学問に於ても、雑学を排し、正しい学問をしなければならん、真に吾々の行くべき道を求めなければならん、之れが大きい問題であります。

師範教育をお受けになる方の通弊としては、何かよい書物を読めば、俺はよい書物を読んだ、之を人に教へてやらう。今日はよい説を聞いた、それを教へてやらう。斯う万事を考へるやうですが、それは非常な間違ひと云はなければならん。今申しました如く、学問は決して人に教へんが為に学ぶものではない。自分の行くべき道を求めんが為に学ぶものである。

 例へば福井の人は橋本景岳を、彦根や横浜の人は井伊直弼を偉大な人物として顕彰する。景岳は井伊の弾圧によって命を落とした。井伊は開国の恩人といはれてゐる。単なる郷土愛ではなく本当はどちらが偉かったのかを決するのが正学である。

日本の道徳を考へることは非常に簡単に考へ過ぎて居る。実に有難い国である。金甌無欠の国である。日本の歴史は実に万国に誇るべきものである。唯さう云ふ風に考へるなれば、その人は何の力もない人で、本当に日本の国体を考へ、日本の歴史を考へ、日本の道徳を考へるなれば、さう云ふ風に簡単に参るものではない。

 日本の歴史はすべて正しく、誇らしいことばかりではなかった。実際は逆賊や国体に反することもあった。その見極めをする正学が必要なのだと説く。
 江戸時代には新井白石荻生徂徠、室鳩巣など学者がたくさん出たが、「真に国体が分つて居る人は一人もない」。

その駄目な人をみんな偉い学者だと無暗に尊敬し、其書きましたものを千金を以て購ふ、それもおかしな事であるが、それを以て郷土の光りであるとして、若い者を指導して行く、之は実に誤れるものと云はねばならない。