走水神社昇格運動と国防神社

 『みそぎ』國學院大學皇國禊會発行、昭和11年5月発行の第5号は大祓普及徹底号。大祓詞を載せ、「如何なる祭典にも大祓を全員にて合唱すべき」「戦争以上の祭典は大祓の言霊の絶大威力に依つて始めて実現せらる」と強調する。

 副会長の中野晴弘が「禊の社会進出一ヶ年報告」として、この一年を振り返ってゐる。14の項目があり、神奈川県の走水神社でも禊をしてゐる。走水神社を明治神宮靖国神社と並ぶ関東三大社に昇格しようとする計画があり、神社の後方10万坪の台地には国防神社を建設し、航空機も着陸できるやうにするのだといふ。大祭には頭山翁夫妻も参拝した。

 紀元節には皇学樹立国体明徴全大日本神道大会が行はれ、皇国禊会が奉仕。640名で大祓を合唱した。

 安房奥多摩、奈良での禊に参加した人たちの短歌も寄せられてゐる。

 文章では編輯人の宮原昌勝が禊の意義を解説。世界には禊が退転したものが行はれてゐるといふ。

太古我が高天原民族の世界流布に伴ひ、支那に至りては潔斎、祓除となり、印度に至りては灌頂砂撒となり、猶太也に至りては洗礼、パブテスマとなり、而して微に其の一部の形式のみを止どめてゐるに過ぎない。行者の苦行に至りては全く斯道の堕落せるものである。

 神道部の山浦三良は、同志社大の思想傾向を報告。野村重臣が法学部機関誌への論文掲載を拒否され、辞任したことを憤ってゐる。

 禊大会日誌は、武蔵御嶽神社安房・白濱稲荷神社でのもの。後者の筆者は木村音三郎。長い所感も書いてゐて、参加者の実感がわかる。禊は他人を出し抜いたり、競争したりして行ふものではない、和やかなものだといふ。

直会に移りたりし時、満場の光景恰も悪戦苦闘の正義の軍に勝利を得たる凱旋将兵が催す慰労と祝福の賀宴に比しきものなれり。(略)中野先生もさすが此の時のみは百万の大軍を見事蹴散したる戦勝将軍…。

 禊は決して苦しいだけの行事ではなく、爽快晴朗、何物にも例へられないものだと感動を露はにしてゐる。このやうに禊は素晴らしいものなので、学校はこれを正科として扱ひ、経費も一部か全額を補助してもらひたいと要望してゐる。