柳原燁子「仏教は暗い、あきらめばかりが多いのです」

 『婦人と修養』は大日本婦人修養会編纂、婦女界社発行。4巻2号は昭和10年2月号。柳原燁子が「悩みを円満解決する神道」を寄せてゐる(目次では「悩みを解決する神道」)。白蓮は日蓮ゆかりの名前だからか、燁子の名義になってゐる。

 燁子は今までにキリスト教、仏教、神道を信仰してきたが、神道を一番評価してゐる。小見出しを拾ふと、「仏教はあきらめの宗教」「明るい神道を求めて」「霊魂を信ずる」「例は万物にある」「『のりと』をあげる」「身上相談についても」「嫁と姑との争ひ」。

 仏教は暗い、あきらめばかりが多いのです。(略)仏教は、世の中を悲観するやうにしか教へてくれませんでした。

 しかし神道は違ふ、とても明るい。

神道は、仏教とちがつて大変朗らかです。神道には仏教のやうに死ぬといふことがありません。親の生命が、子供の生命につゞきます。所謂神道の「生きとほし」といふ言葉がこれです。神道によると、人は何万年このかな[た]永久に生きつゞけてきました。

 燁子が研究した神道では、人は死なず、永久に生き続ける。 

 心霊研究にも非常に興味を持って、幽霊も霊魂も、その存在を信じてゐる。刀や木にも霊が宿る。

 悩みにも、仏教より神道のほうが役に立つ。人がいぢめられると、仏教ではそれは過去の報ひでさういふ目に遭ふのだといふ。しかし神道では、悪いのはいぢめる人ではなく、その人の霊がいぢめるのだ。さう考へると悔しいとか憎らしいとかの感情にとらはれなくなるのだといふ。

 

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