「笑われる覚悟」で書いた大光明眞雄

 『歩く道が与えられた道 昭和初頭の人生実記』は大光明眞雄著、中外日報社、昭和59年9月発行。序は杉田有窓子。

 著者の読みは、おおみや・しんゆう。明治40年愛知県豊川市生まれ。大正大学、大東出版社、知恩院布教講習所を経て、樺太の豊原開教ののち、昭和16年から豊川の光明寺住職。本書には樺太時代、戦中の翼賛壮年団の様子が描かれる。

 布教所での生活や学問には感謝の念を表してゐるが、開教区志願のときには憤りを隠さない。志願後は北支か満洲か、なかなか行く先が決まらなかった。殆ど退去寸前に樺太行きが決まった。現地は体感温度マイナス50度。生活に慣れ、寺を再建するのが軌道に乗りつつあるとき、急に実家の寺を継ぐことになり、豊川に戻った。

 終戦時、完成寸前の寺をソ連軍に接収されたと、のちに後継者から聞かされた。

 戦中の豊川市について、著者は『豊川市史』の態度を批判してゐる。約900ページ中、大政翼賛会については僅か4行、翼賛壮年団については7行しかない。

この七行に至っては、全く事実を知らず、臆測で歪曲して了っているため、後代の人を誤らしめる恐れさえある。(略)敗戦後の民主国家の下で、自由を満喫しながら、その足場で、戦前、戦中の天皇制国家時代を記述してみたとて、到底、真を穿ち得る訳がない。 

 分量が少ないだけでなく、戦後の見方で戦時中を描くことも批判してゐる。著者は設立時から翼壮に携り、自分しか当時のことを知る者はゐないと自負し、飛行機献納運動、食糧増産運動、翼賛市議選挙などを語ってゐる。

 翼賛選挙では、推薦候補を推薦するための話し合ひや資料作りをし、候補の中に居住年が足りない人がゐて、その対策に追はれたりしてゐる。

今からみれば、神を恐れぬ所業であったに違いないが、その時は、むしろ神明に誓う位の清浄な気持で選ばれた、と思う。歴史の真実は、形からだけでなく、その時の、人の心の動きまでを、くっつけて伝えなければ、正確とは云えない。そう信じるから、敢えて、私は笑われることを覚悟で、旧時代人の打明け話を遺すのである。

 「戦争は、現に進行中なのだから、何としても、勝たなければならぬ」と意気込んでゐた著者。しかし敗色濃厚となり、これでは負けると言ったら、右翼の三浦延治に罵倒されてゐる。ユダヤ人だとか国外へ出ていけと言はれ、狂気に近い増上慢だと呆れてゐる。

 付記では、自費出版だが定価をつけたので、在庫の山とならないやうに頒布の協力をしてほしい、と訴へてゐる。