竹を飾る理由

 二ヶ所で御神籤引いて2回とも末吉ってどういふことや。凶だったら「あとは運が上昇しますね」といふ慰め方があるんやけれど。まだ底があるぞ。といふことか。難儀やなあ。

 巫女の皆さん、寒くて手をポケットにin。何時より叉手は廃止になりしや。絵馬掛所で他人の絵馬見る。暢気なるも切実なるもあり密かに楽しみ。

 『後援』帝国軍人後援会発行、大正9年1月号、通巻204号、三輪田元道「松飾は無意義」より。

 「…竹は災厄他家に通ずとかあつて極めて自分勝手な意味を持つたもので自分の家さへ芽出度ければ災厄は幾等他家にあらう共一向差支ないと云ふ様な自己主義を表徴した物であるからデモクラシーの今日正月の飾とするは其一事ですら甚だ考へ物であらう…」(報知)

 災厄が他家に行くように竹を飾る…。初めて聞いた。タが他に通じるのは狸も同じで、他を抜くといふけれど。この伝でいへば、空調の室外機なんて実害もあるし、自分勝手の最たるものであらう。泉下の三輪田先生腰を抜かすのでは。

 蘇民将来の御飾も、自分の家が良ければそれで良いのかといはれるのか。デモクラシイは難儀やなあ。かういふんは皆で飾物して、厄災の行く場所無うしたらええんや。