雨の箱根

 『巨雲』昭和九年十月号「雨の箱根の草庵に内田先生を訪ふの記」小村木亞牛より

 九月一日土曜日は二百十日で、一年中の大厄日にして、帝都防空大演習が予定されてゐた。運転手含め八人は麻布区西町十四の巨雲荘を午前七時半に出発した。なかでも村川小田両君は優に二十貫(75kg)を超え、力士のやうだとある。朝は霧雨のやうであったが六郷橋を渡る頃には本格的の横降りになり、雨粒が大きくなるばかりである。二時間も走ると憂鬱の隙間に疲労が迫る。箱根山をうねうね登る昂奮は征服欲に似たものであらう。雨はなほバタバタと自動車の屋根を叩く。エンジンは話声を掻き消すやうな爆音を立てる。湯本の街はけぶって海の底である。

 強羅公園から二三丁で内田翁の草庵。腰の骨も曲がるかといふ窮屈行軍であった。「おう自動車か、随分豪勢ぢやのう」「いヽえ実は特別仕立ての自動車で、これだけの人数だつたら電車よりか大分安くつく訳ですよ…」翁が回し読みしてほしいと渡した日記は半紙五、六枚で表紙に朱で「秘」とある。さうはいっても公表分は農村問題についての和歌ばかり三十数種で、

 生活の独立したる農村は、金ちうものヽ必要なかりし

 皇道を問ふ人あらば草の庵、我れかき分けて答へんものを

 翁が汗を流しながら朗唱した。その他十一時半から昼食もとらず二時半まで種々拝聴して、また雨中に辞去した。帰り道で、別荘に急ぐ自家用高級車が何台もすれ違った。

 『巨雲』昭和9年10月号(1巻6号)目次

 巻頭言(満洲国の犠牲を生かせ)/巨雲荘宣言、本義、綱領/教育の根本改革を断行せよ巨雲荘主宰岸本一誠/満洲事変勃発満三年に際して陸軍大臣林銑十郎/躍進日本と英国の重圧陸軍省新聞班/満洲事変最後の戦線熱河粛正を回顧する 承徳占領の苦闘陸軍中将小磯国昭/日本軍承徳占領混乱の四日間 ジャーナルドペキン記者ナシュボー/対満投資と仏政府の態度駐仏大使佐藤尚武/承認は最早時の問題駐米大使斎藤博/最近の日米関係長谷川了/一部資本家の野望に歪められんとする製鉄国策河村俊蔵/ソ連の顛落連盟の堕落大友国行/机の塵/新語辞典/遺訓集/日韓合邦記念塔の建立/小塚原に眠る志士広浦岸夫/鉄道敷設法は何処へ行く原越郎/アテネ政治を讃美明治大学教授村瀬武比古/対支政治問題一束(一)中西民男/雨の箱根に内田先生を訪ふの記小村木亞牛/昭和太平記(市電争議点描)巨雲荘主人/新劇『巨人街』を観て医学博士根本瑛/寺内大尉夫人の殉死利根登/特輯記事石井陸軍参与官の『第二の尊氏問題』金子勇/役者から成り上つた石井三郎の横顔羽田重之/巨雲荘稟告(前号発売禁止について)/編輯後記