『実話』は実話出版発行、昭和32年10月号が1巻4号。その中に「私は印度人の女占い師です」といふ記事がある。表紙、目次、グラビア、本文で文言が違ふが、ここでは目次から採る。彼女の名前はメサーブ・ベンチ・アブドロヒム。グラビアページにはメサーブが占ひをする様子も掲載されてゐる。玉子を立てたり火のついた蝋燭3本を口の中に入れたりする。
家の前で撮られた写真から看板の文言も分かる。
妾は印度の易者です アラーの御力で皆様の手相を観て人生一般の運命お鑑定致します
メサーブは大正3年2月、タイのバタニー生まれ。数へで44歳。アフガニスタン系のインド人で、熱心なフイフイ教徒。フイフイ教はイスラム教のこと。夫の瀬島正日呼が両親の反対にもかかはらず日本に連れてきた。昭和21年12月に来日し、長崎で運命鑑定をしてゐたが、長崎ではイスラム教徒が重視する土葬が許されないので上京した。「私は日本が大好きなのです」といふメサーブ。その理由は信仰の中にもあった。
「神武天皇は、アフガニスタンの第七皇子だつたのです。それが、ナガスネヒコを退治するために、単身日本に渡つた。そして、日本全土を平げて、天皇になつたのです」
だから2代目のスイジン天皇まで、天皇はイスラム教徒だった。メサーブと天皇は同じ先祖を持ってゐるといふ。神武天皇のこともコーランに書いてあるといふ。時代が合はないので、歴史的には荒唐無稽な言ひ伝へだが、地理的にはタイやアフガニスタンまで広がる。
コーランといへば大川周明なので、彼のことを知ってゐるかと記者が聞いてゐる。メサーブの評価は芳しくない。
「直接は知りませんが、あの人の『コーラン』は英訳本からの重訳で、間違いだらけですよ。あの人は、死んだらひどい罰を受けるでしよう」