富士宮瓊光「桃太郎とは生命原核をもてる存在の名である」

 『霊峰富士』は昭和34年12月、富士宮瓊光、小壺天書房。序は水野成夫徳川夢声。跋は藤沢親雄と大久保弘一。大久保は長年、著者と行動・研修を共にしてきたといふ。藤沢曰く「著者は日本の将来を荷う神才である」。

 著者はいつも「富士は神造のピラミット、ピラミットは人造の富士」と話してゐる。富士には不死鳥フェニックスの本体である木花咲耶姫ニニギノミコトが祀られてゐる。神武天皇のもとにやってきた金鵄もフェニックスを文学的に表現したものである。

 写子や響子などの超エネルギーの概念によって、宇宙生成や日本神話を解説。天瓊矛は単なる鉄剣ではない。

 

 実在が凝光して響子エネルギーと成り、これから一切の元々素、元素を放出分泌して、逐次生成の段階を現象に及ぼして終に嶋として現出せしめたとするならば何の不思議もない。

 

 

  桃太郎にも、著者によれば深い意味が隠されてゐる。

  桃太郎とは、生命原核をもてる存在の名である。桃は百(もも)に通じ、もち、望、みちに転じて、完全円満の意、百敷の大宮居とは、百の道を踏み行い給うみ舎のことである。

 世界と日本の神話、伝説などを融合させ、本来不二一体のものであるといふ思想で一貫してゐる。スサノオノミコトもキリストに重ね合はされ、更に本源的なものとして説かれる。

素尊はここで一切世の悪濁の責を一身に負われることとなる。(略)キリストより、シャカより旧い時代の、より一層本源的な意味に於ける、十字架上の素尊の姿がここに現出する。 

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