熊沢天皇を霊的に説得した小泉太志命


『三劫の帝王』は三重県の神武参剣道場、昭和53年7月発行、非売品。表紙と扉は竹村碩峯著、奥付では編者。竹村が道場の小泉太志命について、世の中に伝へようとして記したもの。

 「はじめに」にはその甚大な苦労を記す。

宇宙を捉える道具が発見されないように、太志命を何らかの方法で書こうとしたが、あまりにもスケールの厖大さに阻止された。今までも数多くの霊的保持者が書物にしようとしたが中途坐折に終ったと聞くが、実際に書くべきでないことが解った。 

  伝記にはしばしば同様の文言があるが、この書はなるほどスケールが違ふ。宇宙の成り立ち、世界の仕組み、哲学などから小泉太志命といふ存在を描いてゆく。「筆者の意思活動は停止させられ無意下の意識によっていわば、自動書記的に霊筆したもの」といふ。

 写真は道場での小泉のほか、満井佐吉らと一緒のものもある。

 小泉とは何者か。伊雑皇太神宮の本体で、北極紫微宮の法理を携へて伊勢志摩に神武参剣道場・天之磐門顕正奉賛会を設立した。青森県で出生したともあり、青森の遮光器土偶、キリストの渡来、天の浮橋、宇宙人についても触れる。

 釈迦、キリスト以上の大聖人で、世界平和や全人類の幸福を祈願してゐる。戦時中は天皇家護持、皇居防護に尽力。満井を表に立てて活動してゐる。

 皇統問題についても、熊沢天皇や三浦芳聖と霊的に会って説得。「熊沢、今更君が正統であったとしても、それを表面に立って争うことは相ならない。…」と諭してゐる。なぜ小泉がさうしたのかも説明されてゐる。

 このやうに常識では計り知れないことや神秘的なことが記されるが、いはゆる偽史について勉強してゐて、引用も多い。ノストラダムスの予言、かごめ歌の秘密も取り込んでゐる。言霊の解説も多く、志摩は志を磨くところ、五十鈴川は石鈴川、ことばは光透波(こうとうは→ことば)、などなど。

伊勢志摩とした所以は志摩半島があるからではなく、総ての人類の“志”を研賛する聖地であり都であるということに基因するものである。 

  人類は安心立命、不老不死、平和のみで宗教を必要としない世界の建設の時期にきてゐる。それは「惟神の道」により可能で、そのために幽居の扉を開いて太陽のごとく出現しようとしてゐるのが小泉太志命なのだ、それを待望してゐるのだと熱願してゐる。

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