田崎仁義「議場はすなはち高天原の天の安河原である」

 『講演時報』は時事通信社発行、第20年第706輯は昭和18年10月5日発行。旬刊で月3回発行してゐる。この号は全24ページのうち23ページと、ほぼ一冊すべて田崎仁義の「国難に処する敬神生活」に充てられてゐる。

 田崎は大阪商科大学教授などを務めた経済学博士。当時の肩書は大政翼賛会大阪府支部常務委員、社会経済史学会顧問、日本農道協会理事、皇道日本協会幹事。

 はじめに明治天皇のご敬神や頭山翁の明治神宮参拝に触れて、頭山翁を模範としてわれわれも実践したい、と感銘を受けてゐる。参拝の様子の引用元は藤本尚則『頭山精神』。

 伊勢神宮など参拝者が増えたのはいいが、若い人や知識人はおしゃべりをしたりして、態度がよろしくない。参道の左を歩くべきだといふことも知らない。これは学校教育の怠慢だと憂へてゐる。

 神棚についても不満を列挙する。日本家屋は床の間など寺院の様式が元になってゐて、これでは敬神の念が養はれない。会社や工場に神棚があるところも少ない。日本人であれば仏教徒キリスト教徒もイスラム教徒も神棚を奉斎するのが当然だと説く。

 議会も不十分だ。開院式での天皇陛下行幸だけでなく、貴衆両院に神殿をもうけるべきだ。

さうして議員は議場に行つたならば、先づ禊ぎの部屋に行き、着物を脱ぎ捨てゝ禊ぎをしてから、着物を着替へて、議場はすなはち高天原の天の安河原であつて、議員はそこに神集ひに集ひ給ふ神々が神議りに議るのであるとの観念をもつて会議に与かるやうにしたい、

 国会議事堂の議場には高天原のごとく、身も心もきれいにして臨むべきだと訴へる。

 神職の待遇を改善すべきだといふことも忘れない。

神社のお守りをする神主さんの生活も相当に立ち行き、安んじて神職に奉公出来るやうにしてあげなければならぬ、

 昔は氏子が収穫物を神社にお供へし、神主はそのお下がりをもらってゐた。しかしその風習も廃れ、生活が不安定で、神主のなり手が少なくなってきた。寺院ではそんなことはない。神主が生活に困らないやうにするためにも、初月給の一部を神様にささげる。毎月ならなほ良い、などと、神主の生活安定策を提案してゐる。

 

 

 

・ぱらのまの5巻、店頭の100円均一で古い時刻表を買ふ話が出てくる。文学書とか貴重な本ではなくても、その人にとっては掘り出し物、といふのがいい。古本屋かリサイクルショップか分からないが、ほかの本は家庭の医学とか古いパソコン本とか、いかにもありさうな書名が見える。その時刻表を読み込んで昔に思ひを馳せるのにまるまる一話をつかひ、次の話にもつながってゆく。