荒原諸兄麿「聖書を熟読すべし、古事記と古典を愛読せよ」

 『基督教天皇論』は荒原諸兄麿著、日本ホーリネス教団発行。20ページ。終戦後だが正確な発行年不明。聖書と記紀、基督と天皇の仕組みを同様に説く。これにより日本の再建を訴へる。

日本は古来天之御中主神による一神三位一体教で仏教渡来以後天照大神のみを偶像化した所に、神道の堕落を見るのであつて、この日本が敗戦と共に神国の昔にかへり、一神教の昔に新生成し得べくばバイブル的神国主義の平和日本再建は可能となるのである。

 多神教の日本が戦争に敗れた今こそ、仏教渡来以前の一神教的な神国に立ち返るのだといふ。神・君・親からなる倫理規範を重視し、これに絶対随順することを唱へる。

 「天皇とは、天地の創造神の命を以て聖旨を体して、日本国家と民族を統治する人格者」。天皇を主権者として服従するのは日本民族の義務である。

 大嘗祭も基督教のバプテスマ(洗礼)によって説明される。

 基督教がバプテスマをもて、俗悪なる世よりセパレートされて、神人合一の体験に入る如く、天皇様が天皇として一系の継承をなす即位式前の、神人合一の行、大嘗祭こそ、日本人の道を失へる国賊共には、理解出来ぬ荒行もて、天皇の修養即ちみそぎをもて、バプテスマ神人合一の天皇学への荒行が執行さるゝのである。

 荒原自身も昭和16年、必勝を 天之御中主神(天神、エホバ)に願ひ、二見ケ浦でバプテスマしたと振り返ってゐる。

 神武天皇が137歳だったといふことを挙げて嘘だといふ指摘には、聖書にはアダムが930歳と書かれてゐることを示して反論する。「この聖書的歴史観こそ、基督教的歴史観であり、不可解もないのである」。

 荒原の熱願は次の言葉で締めくくられる。「聖書を熟読すべし、古事記と古典を愛読せよ」。

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