中村ひろしが描いた明主さま

 『教育まんがえ本 明主さま 世界救世教教祖の話』は昭和39年12月、青山書院発行。40年2月に4版発行。表紙は上田三郎、まんがは中村ひろし。

 明主さま(岡田茂吉)の生涯をまんがで描いたもの。これを読めば明主さまのことがわかる。扉絵にタイトルがついてゐて、「浅草の夜」は父の古道具店を手伝ふ。「重なる病い」は、眼病を患ひながらも、独立して小間物店を開くまでを描く。「光への道」では神様のお告げを受けて誓ひを立てる。「苦しみをすくう手」は手かざしによる病気治し。「迫害」は医師法違反とされる迫害とその克服。「ひかりをかかげて」は戦後の暮らしぶり。「美しき地上」は庭園や敷地の整備など。

 明主さまとその家族だけは目を横長に写実的に描き、その他の人物の目は卵形に切れ目をいれたやうな形。ミッキーマウスの目に近い。迫害される場面は窓の外から、シルエットだけで表現される。取調官たちは「きゅうに頭がいたくなってきた」「なんだか手がしびれるぞ」などと訴へ出す。

 ほかに2本のまんがもある。「吹雪の海峡」は青森県の大間の話。漁師たちが出港を取りやめたり、嵐に遭っても無事帰還したりして、大神さまに感謝する。「平和な家庭」は以前家出した姑が家に帰ってくる話。「自然に逆らうと」は自然農法の良さを教はる話。こちらも自然農法を行ふ茂平の目は横長、教はる方のをぢさんの目は丸く縦長に描かれる。

 そのあとに、明主さまの自伝風の文章も載せてゐる。無信仰時代の逸話は意外なもの。ご神体を祭ったり、神主や坊主が着飾ったりすることを批判し「実に馬鹿々々しい限りである」。明治神宮造営時の寄付も少額しか出さなかった。

 終戦時も信者たちは茫然としてゐたのに、明主さまは「私は嬉しくてならなかった」。日本は弱い者いぢめをする「国家的ヤクザ」だったので、神様が大鉄槌を食らはしたのだといってゐる。