悔庵子「学問の徳たる実に大なり」

『悔悟の花』は本多澄雲著、法蔵館発行、明治33年7月発行。大正4年4月3版版発行。これは奥付の表記で、表紙では『銕窓随筆 悔悟之花』。本多は編者で、実際の著者は悔庵子といふ匿名。どこかに所蔵があるだらうか

 本書成立の経緯をまとめると、まづ獄中の悔庵子が原稿を書いた。明治21年3月の自序。これを函館の監獄だった古野嵩央のもとに預けた。古野は悔庵子を教誨した人物。数年を経たのち、囚人たちの読む適当なものを求めてゐた田淵静淵が原稿のことを知り、本多澄雲と協力して本書を編纂した。

 内容は、いはゆる悔過遷善譚を集めたもの。犯罪者や罪を犯さうとした者たちが非を悟り、反省して心を入れ替へる。出来事を描いた本文、「悔庵子曰く」から始める著者のコメント、編者による古今の聖賢の語句の引用、の3つの部分からなる。これが12回分ある。付録は「恒順和尚の感化」「因果実歴譚」。

 本文の末尾に(明治孝節録)とあるのは引用だらうが、(教誨師演説)とあるのは実際の演説を筆記したのだらう。

 第2回に登場するのは出羽国の精一郎。寺院で浪人をして外を見てゐたら、庄屋が金をしまふところが見えた。盗まうと思ひつつ床に就いた。ふと座敷の屏風が目について、そこには悪事を戒める道歌が書かれてゐて、精一郎は即座に反省して、涙ながらに和尚に謝罪したといふ。

 悔庵子はこのことから、学問の大切さを教訓にする。もし文字が読めなかったら、精一郎は反省できなかった。道理を理解することもできなかった。

学問の徳たる実に大なりと云べし(略)嗚呼諸氏よ諸氏早く此理を看破して以て服役の余暇孜々として学問に勉強せられよ

 房内は暗くて勉強できないといふ声には、蛍雪の功を引いて励ましてゐる。

  第11回は長崎から来て新潟に泊まった菊次郎。旅館の主人に認められて、そこで奉公してゐた。主人が江戸に行って留守してゐた間、妻の阿佐與が菊次郎を口説いて恋仲になった。帰宅した主人を毒殺しようと持ち掛けられ、その最中は外出することになった菊次郎。気が付けば町外れの獄舎の前に出た。塀高く門も堅い。塀の中の様子を想像して恐ろしくなった。

万一仕損じたるときは我も此裡へ入れられて苦しき思をなすのみならず首と胴とが居所を異にする様な大変が生ずるかも計るべからず嗚呼危ふし

 慌てて帰宅して、まさに酒を飲まうとする主人に一切を白状。菊次郎のその後と毒婦、阿佐與の末路を対照的に描く。

 この辺りは 『「悪」と統治の日本近代 道徳・宗教・監獄教誨繁田真爾著、法蔵館、が扱ってゐるので、併せて読みたい。