留め札を使はない古書店主、岩上作松

 

 『それぞれの機会』は日向康著、中央公論社、昭和39年4月発行。ビニール装で帯文は永井道雄東京工業大学教授。

 著者は大正15年生まれ、「思想の科学」同人。目次は2つの項目しかない。「岩上作松の場合」と「亙会嘉吉の意見」。岩上は仙台の古書店主、亙会は同じく菓子職人。2人は実在の人物だが、フィクションを加へたといふ。

 亙会は父から和菓子店と、その借財を継承した。借金返済のため従業員と力を合はせて努力してゐた。しかし昭和5年の夏、小さな事件が起こる。従業員の一人が昼休みに、その頃はやってゐたヨーヨーで遊んでゐた。亙会が注意すると、その青年は「昼休みは第一あたしの時間だもの」と不満さうに言った。 

 亙会はこの時に衝撃を感じた。経営者からすれば、休み時間は勤務の必要上与へるものだと考へてゐた。しかし従業員からすれば、仕事を離れた自由時間だった。

 法律相談会を訪れた亙会。東北帝大の中川善之助に、理想を説明する。会社は誰のものでもなく、利益は平等に分配されるのだといふ。取次ぎの学生が「支離滅裂」と表現した相談内容。参禅の経験もある亙会は、坊さんと布施の例へで説明しようとする。布施は一時的に預かるが、坊さんのものとはいへない…。納得する答へが得られなかった亙会は、理想の事業体、理想の働き方を追求する。

 経営者と労働者が対立しない、儲け第一主義ではないやり方を模索するのがテーマになってゐる。

 古書店主の岩上は、立ち退きや出火、隣の地主による地下部分の無断使用などの災難に見舞はれる。弁護士にも相談するが、隣りはビルの上の階からも張り出し部分を作らうとし、岩上の店はますます圧迫される。

 古書関係の描写は、店と客の関係、売れ筋、買取りなど詳しい。

新本は、出版社と書店とが書籍という商品をその実質以上に見せかけようと努力し、腐心するが、古本屋は書籍に無理な装飾を施して光彩を添える必要はない。 

 たいてい一点ものなので、装飾しても割りに合はない。

岩上の店に来る客のほとんどは、ぎりぎりの必要に迫られて書籍を求めに来る客である。本当の必要なものだけを欲しいと思うとき、そこには「遊び」の入り込む余地はない。そして、このつねに必要に迫られている買手を相手にしていることが、岩上作松の気分を爽快なものにした。  

 岩上の性格を描くのに、留め札が出てくる。古本の業者の市で、売る側が最低希望価格を示したものが留め札。貴重なものなどはこれをつけて、売る側が損をしないようにする。しかし岩上は留め札を使はない。あなたまかせの売り方だとか、必要以上に利益を望まない姿勢が描かれる。

 岩上が引越しや訴訟対策などに追はれるうちに、時代も本も人も変化した。

映画やテレビが、直接的な感覚に訴えて読書の習慣を追い払ってゆく。これはわずかずつであるが、書籍、特に古本の購買力を減退させていった。それに貸本屋の出現が、古本屋から読み捨ての流行小説などを買う階層を強引に奪っていった。こうして古本屋に残っていく客筋は、同業仲間で「癖のある本」と言っている資料、学術書、文献、古文書などを求める特定の客だけとなってゆきつつある。

 

 

 

 

・擾乱、主人公が古書店主。世を忍ぶ仮の姿みたいな。