草莽の大極殿狂人、棚田嘉十郎

 『小説 棚田嘉十郎 平城宮跡保存の先覚者』中田善明著、京都書院発行、昭和63年5月発行。

 平城宮跡の保存に半生をささげた、棚田嘉十郎を描いたもの。実在の人物や団体の名前、趣意書、新聞記事を登場させる。

 棚田は一介の植木職人で、観光客から平城宮跡について尋ねられるうちに興味を持ち、保存運動をするやうになった。跡地は牛馬の糞があったり、小屋が建てられたりと荒れてゐた。運動は単に遺構を整備するだけではない。京都の平安神宮に倣って、奈良に平城神宮といふ神社を創建することを目標としてゐた。

 棚田は神社創建に奔走するが、全くの素人。文字は読めないので、手紙などは周りの人に読んでもらふ。衣食住にも事欠き、上京の費用を工面するにも苦労する。それでも拝謁した小松宮彰仁親王殿下の「しっかり頼むぞ」との言葉を胸に、苦難を乗り越えていく。協力者は岡部長職子爵、土方久元伯爵、土方直行四條畷神社宮司、徳川頼倫、板垣退助ら。保存会の結成、議会への請願、御下賜金の要請、勧進相撲など様々なアイデアが生まれ、実現したり失敗したりする。棚田の思ひは、次の新聞記者との会話によく表れてゐる。

「皇居が今上陛下のお住居なら、平城宮跡も、かつては、天皇陛下のお住居として立派に造営されておりました。いまと昔の違いはありましても、いまだけに大切にし、昔の皇居はどうでもいいのだということになりますと、やがては、いまの皇居も、時代とともに荒廃していくにちがいないでしょう。…」

 文化財的な意図よりも、尊皇の志が原動力になってゐたことが窺はれる。草莽といふ言葉は出てこないが、まさに草莽。

 しかし棚田は、悲劇的な最期を迎へることになる。神式が蔑ろにされて憤る棚田の姿が痛ましい。