共産党員に古本屋を奨めた脊山藤吉

 『自伝 不折の道』(昭和49年10月)は脊山藤吉が自分史を綴った私家本。200頁に満たない小ぶりのもの。しかしお仕事が左翼、右翼などの思想を取り締まる兵庫県特高課勤務の警察官。のちに内務省警保局保安課。思想捜査の実際がわかる。

その頃左翼運動の取締は益々強化され、上海航路の船内や、東海道線の列車内で移動警察官が乗込み乗客の査察を行うようになって居た。私も時々これに乗り込んで直接査察したことも有った。旅行者はその所持品を見れば概ね旅行の目的が推察されるもので、法科や経済の学生が左翼の本、例えば史的唯物論を読んで居たからと云って別に注意はしなかったが、医科の学生がこれを読んで居る場合は軽く注意を与え、若し組織論や、戦略戦術の書物を読んで居る場合は学部の如何を問わず一応訊問して住所氏名を調べた上、関係府県へ通報する措置を取ったものである。

 本の書名だけではなく、どんな素性の者が読んでゐるのかも考慮して行ってゐた。
 
 上司や思想検事も左翼思想には無知だったが、脊山は相手のことを知らうとした。京都帝大から共産党に入り、二年間緘黙してゐた容疑者とも会話し、彼から教はったマルクスエンゲルス服部之総河上肇の本も読んだ。哲学関係はさっぱりだったが、とにかく読んだ。
 
警保局時代。

 私は時々調査室へ行き古賀君を訪ねて意見の交換をしたものであるが、此処には発売、頒布禁止の書籍が沢山あって、二年を経過すると焼き捨てる習わしではあるが、焼くには惜しい貴重な著書もあり、時々借りて読んだものであった。

 発禁書も借りて読めたのか。
 神兵隊事件関係者らしい者が、エンゲルスの本を持ってゐたのでただの左翼崩れだったとわかったといふこともあった。
 頭山翁もでてくる。

加藤さんと云う事務官が二・二六事件に関係した松田と云う男を知ってるだろう、東京へ呼び寄せることは出来ないだろうかと云うのであった。私は彼を取調べた関係で知り合って居たので、神戸へ行き彼を訪ねて其旨[伝]えたら彼は早速上京して来た。彼の実兄は当時日本経済新聞論説委員をして居るとかで、頭山満と昵懇な支那通であって近衛公と平沼総理を引合わせた政界の影の人であったそうである。

 
 戦後に警察をやめてから、共産党員が、党勢を伸ばすにはどうすればよいかと相談に来た。そこで脊山が奨めたのが古本屋の開業だ。

共産党が事業主から寄附を仰ぐと云うことは邪道である[。]運動資金の寄附を仰ぐと云うのでは無く、所謂シンパ層から古本を寄贈して貰い、戦災で書籍が焼き払われている今日であるから古本屋を開業して、其の収入で賄ったらよいのでは無いか。若しそうするようなら私の家の古本も全部出しましょう、と云った。

 終戦直後の古本屋は注目の職業だった。
 時宜に見合った提案だったが、結局これは実現しなかった。