岩井大慧東洋文庫長「神風はいつも必ずしも都合よく、吹いて呉れるとは限りますまい」

『歴史公論』の2巻4号、昭和8年4月号は満蒙特輯号。
 p106〜108と短いけれども、権藤成卿が「南淵書がどうして私の家に伝はつたか」を談じてゐる。

 たゞ幾重にも了解して頂き度いのは歴代の伝写本が両度の洪水の為に水に浸り、扁だけあつて旁はないとか、注か本文かわからんとかそれ等の事はどうも多少の間違がないともかぎらん

と弁明してゐる。水に濡れたので漢字の一部が読めなくなったが、そのまま伝写されたといふことらしい。

 p31〜46に岩井大慧「歴史上から満洲国の出現をどう見るか」。東洋史専攻の先輩が、歴史公論記者の質問に答へるといふ形で語ってゐる。のちに東洋文庫長になる岩井が満洲の歴史を解説してゐる。
 広開土王碑の話から、日本が負けた歴史に繋がってゆく。 

それで私はいつも友人等と話すんですが、負けたことは負けたと知らせて、その時に如何なる処置を取ったか、又取るべきであつたかを、分明に国民に知らせ、再度左様なことは、仕出かさぬように、導くのが国民教育に歴史を課する所以ぢゃないかと思ふのです。日本人は口を開けば、外国の侮を受けたことはない、文永・弘安の元寇も負けなかつた。日清・日露・日独の戦も負けなかつたと力んでゐます。神風はいつも必ずしも都合よく、吹いて呉れるとは限りますまい。戦争に敗れば如何に苦いか、如何に国民が萎靡し退嬰するかといふやうなことを、他国の場合で知らせるよりは、自分達の祖先はこんな辛苦をして今日に及んだと知らせておく方が、大事なことぢゃないでせうか?
 
 歴史教育に「うそ」は禁物


日本の歴史では、一切敗けた事はないとして、一言も触れずにおくことは、どうかと思ひますね。それよりも実際敗戦の事実を証明し、その時の日本の耐久力はどんな風であつたか、といふことを能く少国民に飲み込ませ、それゆゑ戦争は滅多に開くべきでない。開いた以上は、矢でも鉄砲でも、負けてはならぬぞと教へ、敗れば悲惨だ、それだから再び繰返さぬようにすべきだと、説くべきぢゃありませんか。勝つたことばかり知つて、負けたことを知らぬやうな国民は、軽佻浮華に流れ、不遜傲頑な国民となりはしますまいか。

 戦後なら珍しくないが、昭和8年でこの意見は東洋史学者だからこそ。 

 平泉が乱臣賊子の歴史を説いて国体護持に努めたのだから、敗戦の歴史を説いて国防思想を鼓吹する途もあった。