婦人専門書籍店を開いた磯貝道子

『女学世界』博文館発行、大正12年3月号は第23巻第3号。1ページだけだが興味深い記事がある。「時代の要求によつて生れた 婦人専門の書籍専門店を訪ふ」。無署名。外国の話かと思ったがさうではなく、東京の四谷見附にあった。

 名前は家庭堂書店。看板もできたばかりの新しい店らしい。婦人向けや家庭的の読み物が並べられてゐるといふ。経営者らしき磯貝道子が、開店の動機を語ってゐる。

「神田あたりの一流の本屋へ参りますと、そこはいつもお客が溢れるばかりで、中々欲しいと思ふ本を手にとつて、どんな内容かしらと思つてもそれを覗いてゐる事も出来ません。(略)それに男子の方が多くて、沢山に積まれた書籍も男子本位に並べられてゐるといふ有様で、とても自分達が満足するわけには参りませんでした(略)

 じっくり本を選ぶこともできず、買ってから後悔することもあった。そこで気持ちよく本が選べるやうにと思って、日本唯一の婦人専門の店を開いたのだといふ。

一読して話の意味はわかるが、疑問や不思議なことがいくつもある。神田といふのは神保町のことだらうが、そこの店といふのはそんなに人であふれてゐたのだらうか。今とはだいぶ違ふ。本を手に取るのも難しいほど、人が多かったらしい。しかも男性ばかりで、女性は買ひづらい。男性本位といふのは本棚が高くて、小柄な女性は手が届かなかったといふことか。「積まれた」とあるから、平積みの本が高い位置にあったのかもしれない。大正時代は女性はあまり店頭で本を買はなかったのだらうか。

 ここでは神田だけの話だが、ほかでも似たやうな状態だったと推測できる。さうでなければ、磯貝はこんなに困らなかっただらう。

「婦人専門」はどこまで徹底してゐたのか。本の種類は婦人の読むやうなものらしいが、男性は入店できなかったのだらうか、来ても追ひ返したのだらうか。

 遠方には書名などを知らせてくれれば発送したといふ。地元の書店に注文せずに、わざわざ家庭堂書店を利用したのだらうか。

 「かういふ事を書いた本がほしい」といふ相談があれば速やかに回答したといふ。

 

・「本の虫 ミミズク君」の新連載。読書好きの少年が主人公。物を取られてもうぢうぢしてすぐに取り返さないやうな性格が斬新。家族の読書の時間があるが、全員本好きなわけではない。祖父の若いときの本にも2段バーコードが付いてゐた。