湯野川龍郎東京陸軍幼年学校校長「世の中にはそんなに悪人などと云ふ者は居ない」

  狂信的天皇ファシズムの基底部を構成する陸軍幼年学校に於いて、神懸り的好戦ファッショ思想は紅顔可憐な生徒の脳髄に如何にして強制注入せられたのであらうか。
 
 さういふ人は『随感随筆』を読むのもよい。湯野川龍郎東京陸軍幼年学校校長の随筆を集録したもの。奥付などなく、「復刊の辞」の日付は昭和56年3月。略歴によると湯野川は明治25年8月生まれ。昭和16年6月から同19年3月まで東京陸軍幼年学校校長を務めた。同35年3月8日に他界。
 戦争の最中にどんなに恐ろしい教育が行はれてゐたか。勅諭奉読に失敗し自決した後宮次郎少尉を論じたところでは、

随分勉強した積りでも堅くなって奉読する際には誤読も絶無とは云はれまい。神聖なものではあるが自殺しなければならぬとまで思ひ縮めなければならぬとすれば勅諭奉読と云ふ事は重大問題となり延いては奉読を忌避する事になる。これでは決して 聖旨に副ひ奉る所以にあらずと思ふ。

 と諭す。二重橋明治神宮の前で勅諭を奉読するのもよいが、湯野川校長はあまり感心しない。「単に本人の決意を示す為めなら必らずしも公衆の面前を選ぶ必要はない」「人前を衒う気持などが一寸でもあったとしたら、 聖旨を冒瀆するも甚だしい」といふ。
 表面的な、形式的な精神論を嫌った。さうして生徒のやる気を引き出した。 

 こちらで云ふた事が理解されぬ場合もあるだらう。誤解することもあるだらう。聞き洩らす事もあるだらう。不在の事もあるだらう。それを何回も繰り返へすうちに徹底をする。(略)一通り云ふて聞かせた丈けで徹底したなどゝ思ふたら大変な間違ひである。「此の前云ふてあるじやないか」などと責めるのは寧ろ自らを責むべきである。此の前に言ふてあるのにそれが徹底せぬのは云ひ方が悪いか、足らぬかである。

 生徒が覚えないのは生徒の覚えが悪いのではなく、教へる方の教へ方が悪いのではないかと論じる。ただしここで終はるのではない。以上は能力が平均以下の者の為の教へで、諸君らは将兵の卵であるのだから、発奮せよと促す。頭ごなしに頑張れとは言はない。
 その他電車内での挙措とか箸の上げ下げ、切手の貼り方に至るまで、硬軟織り交ぜて押し付けにならないやうに指導してゐる。 
 湯野川校長は訓示で「達者で素直に朗らかに」と云った心算が、間違って「達者で元気に朗らかに」と云ってしまったとわかり、後にわざわざ訂正してゐる。それだけ訓示に意を用いた。卒業生もこのやうに戦後三十数年以上経ってから校長の文集を復刊した。
 さういつも朗らかにとか達者にといふ通りにはいかないかもしれないけれども、校長はかういふ考へだった。 

 腹を立てると云ふ事は健康に害にこそなれ決して薬にはならぬ、世の中にはそんなに悪人などと云ふ者は居ないものである、一時の出来心か、誤解か、錯覚か、認識不足位の事が多いものである。