朝食廃止聯盟(同志会)を後援する下位春吉

 朝食廃止同志会の編になる『朝食廃止と新健康生活法』(昭和17年5月発行)は、西式健康法西勝造が提唱した朝食廃止論をまとめたもの。
 朝食廃止は奇矯な説ではない。後醍醐天皇の『日中行事』によれば「朝の御膳は午の刻なり」とある。今の昼食のことで、日本は長く一日二食であった。
 朝食を平均15銭として、日本人9000万人が廃止すると49億円に上る。さうして戦闘飛行機が一台25万円なので、一万台製造できると算盤を弾く。
 尤も手元の本では戦時色の濃い表現に「削除」とか棒線が引かれてゐて、ここも削除と書いてある。
 書中では逐一朝食廃止の効能を説く。電車に乗ってゐるといろんな人が鼻をほじったり掻いたりしてゐる。これは寄生虫がゐるからである。朝食をやめると寄生虫が減り、鼻の故障もなくなり勉強にも身が入る。この辺根拠はないだらうが、鼻をほじるのは寄生虫がゐるからといふ考へがあったのだらうか。
 朝食廃止は世界的に見ても根拠がある。アメリカのデューイ博士のパンフレットがイギリスを経てインドに渡り、ガンジーも実行した。ムッソリーニも朝は牛乳だけで食事は午後一時から。「彼の活動力は朝食廃止にあるとも云はれてゐる」。ヒットラーも断食療法の信奉者で、自然療法の提唱者で、菜食主義の実行者だ。 

この朝食廃止問題を提げて、社会のため、国家のために、純忠奉公の誠を尽すべく結成されたのが工藤豪吉少将の「朝食廃止聯盟」である。滞伊二十余年の下位春吉氏は、伊太利では一日一食で済ましてゐると、これを後援し、元大蔵次官の田昌氏は、朝食代を貯金すればと、係数的頭脳を以つてこれを援助してゐる。
 中京名古屋市にあつては、縣市長が指導者となり、市役所職員間にこの運動を植えつけてゐるし、神都宇治山田市にあつては大宮司高倉子爵が、これ又二十年来の朝食廃止実行者として有名である。 

 高倉子爵は日別朝夕大御饌祭に倣ったものであらうか。
 奥附では編者兼発行者として工藤豪吉の名がある。「朝食廃止聯盟」が発行所の「朝食廃止同志会」に変更されたのかもしれない。同志会会則は昭和16年9月1日改正とある。しかしイタリアでは一日一食といふのは本当であらうか。
 その他前貴族院議員の森平兵衛、伊藤忠商事会社社長の伊藤忠兵衛、今井嘉幸法学士らが熱心に唱導し、兵庫県翼賛会の奥村少将は朝廃者(さう略してゐる)の氏名簿を明治神宮に奉納しようとしてゐるといふ。
 貴族院の第77回臨時議会では水野甚次郎貴族院議員が質問演説を行い、官報にも載った。それが書中に転載されてゐる。
 それによればイタリアは労働者も一日一食、仏独英は二食主義、支那は労働者以外二食。「独リ日本人ダケガ三食ヲ食ベナケレバ栄養価値ガナイト云フコトヲ仰セニナルコトハ私ハ意外デアリマス」。
 日本の伝統からも、海外の現状からも一日三食は多過ぎる。復古論者もファシストも朝食廃止の一点で共闘することができた。