頭山翁と寝たら布団が重くなった森敦

  芥川賞作家の森敦に『星霜移り人は去る―わが青春放浪』がある。角川文庫で昭和54年11月に出た。元は『文壇意外史』の書名で朝日新聞から出て、初出は『週刊朝日』で昭和49年2月15日号から7月26日号まで連載されてゐた。
 特に文壇の事情を知らなくても面白く読める。どういふ経歴か、森の父が早くから名士に触れさせるといふ教育方針で、頭山翁の思ひ出もまとまって載ってゐる。
 頭山家に泊まってゐた頃、昼食も夜食も二人で取った。頭山家では子供でも一個の人格として認めてゐたやうで、夫人か女中か今となってはわからないが、その女性が「坊ちゃんはなにがお好きですか」と聞くので、ビフテキが好きだと答へた。
 さうするとその通りにビフテキが出た。頭山翁にも同じものが出されたが、気づくと箸をつけようとしない。夕食も同じやうに聞かれたので同じやうに答へると、二人に同じビフテキが出たが、やはり頭山翁は手を付けなかった。
 

 夜も同室に寝させてもらった。明け方ふわりと掛け布団が重くなる。しかし、かすかにそんなことを意識しただけで、ぼくはそれなり眠りに落ちてしまったが、頭山さんは起きがけに、自分の掛け布団をとってぼくの掛け布団の上に重ね、朝の日課にしていた明治神宮の参拝に、書生たちを伴って行ったということが後でわかった。
 「頭山はそんなやつさ。明け方のひと眠りをグッスリ眠ると、倍も眠ったことになるというのが頭山の考えでね。それには、朝方冷え込まぬようにせねばというんで、早起きすると必ず自分の掛け布団を、ひとの掛け布団の上に掛けてやるんだ。なんといっても、頭山は金子のように遠浅じゃない。遠浅は子供に泳ぎの稽古をさせるには適当だが、大きな艦船を横づけさせるにはむかない」

 頭山翁の気遣ひが心憎い。サナダムシの話よりも此方が広まってほしい。
カッコ内は舎身居士こと田中弘之の言葉。子供扱ひせずに何かと解説してくれた。p60に註がついてゐて、日蒙親善に努力したほか「『大浪人』と称し、奇行も多かった」とある。
 金子は頭山翁と同じ福岡出身の金子堅太郎。大日本帝国憲法の起草に携わった名士だが、ここでは底の浅い人物と評されてゐる。

 
 藤井式物理圧戟療法器を発明した藤井百太郎とも親しく交わってゐた。森の連載中に、子孫から手紙が届いたりしてゐる。