サムハラ千人針永田美那子様

 続き。永田が自由に行動できた理由の一つとして、下中弥三郎の協力もあった。桜井忠温の計らひで、平凡社の大百科事典、陸軍画報、海軍画報、淑女画報などの客員や支局長代理として各地に行くことができた。腕章ももらった。
 玄洋社との繋がりもでき、頭山翁と談話中に西安事件勃発の報がラジオから流れてきた。頭山翁は殷汝耕の結婚に一役買ってゐたので、永田は殷と蒋介石に宛てた手紙を預かる。殷との会見では「あなたは『丙申五黄星(ひのえさるごおうぼし)』ですね、強い強い。あなたに向かうものみな負けますよ」などと言はれてゐる。
 永田の強運は広く知られてゐたやうで、帰国した際は大人気だった。

どこから嗅ぎつけたのか、硬軟とりまぜ雑多な人々が私のところにおしかけてきた。私のブロマイドが、千人針の代わりに、戦勝無血の「五黄申のタマ除」として浅草あたりから売りだされたり、満州熱をあおるためか、陸軍省アジア班に依頼されて各地へ講演に派遣されたりという大繁盛ぶりとはなってしまった。

 ところがこれが災ひして、昭和7年5月16日に刑事の訪問を受け、憲兵隊に検挙されてしまふ。五・一五事件に参加した海軍将校までが永田のブロマイドを持ってゐたので、反乱を煽動した嫌疑がかけられたのだ。
 
 サムハラ千人針永田美那子様。