大竹貫一「今後米英を呼ぶに必ずデビル米英と呼称すべき」

 『謇々清議』といふ本があったので開いてみると、頭山翁が竹でできた、もっこのやうな駕籠に座ってゐる写真が載ってゐた。同じく別の駕籠に収まるのが大竹貫一、二人の間で立ってゐるのが洋装の川島浪速。
 これは昭和17年10月3日、川島の招きで三老が会談した「聖山山上三老の会同」の際の一葉。
 そしてこの本は日比谷焼打ち事件などで知られる貴族院議員、柏陰大竹貫一の、最近数年間の行動を記録したもの。昭和18年11月10日発行の非売品。編者は石塚信造。国会図書館で大竹貫一で検索しても出てこないが、実質は大竹が書いたもの。
 大竹は昭和19年に亡くなってゐるが、老いて尚矍鑠とはこのこと。
 会同には三老のほかにもう一人、日露戦前から満洲に渡って、在満日本人一徳望があるといふ山下五郎も加はった。
 頭山翁が88歳、大竹83歳、山下79歳、川島78歳、〆て328歳の奇観だ。
 この時は鯉や鮎や鯛などが並んだ。
 後半が大竹個人の活動で、昭和12年9月にはこんなことを呼び掛けてゐる。
 

 同月中『デビル英国に報復せよ』の一文を草し、数千部を朝野の各方面に配布し、英大使クレーギー、米大使グルー等には各数冊を送本し彼等の心胆を寒からしめたり(略)予は国人挙て予の提唱に和し、今後米英を呼ぶに必ずデビル米英と呼称すべきを適当なりと推奨して止まず。(論文省略) 

 昭和14年6月23日には、頭山翁、三宅雪嶺、本多熊太郎と4人連名で、「交戦権発動の上奏請願」を出してゐる。日支事変を事変ではなく、はっきり戦争と見做すべきだといひ、「事変ト称シ国際法上当然許容セラルヽ交戦権ノ発動ヲ自制シ幾多作戦上ノ支障ヲ忍ンデ憚ラザル」現状を憂へてゐる。
 
 昭和15年11月には不可解な事件に巻き込まれる。大竹が警視庁検閲課警部の平岡某から取り調べを受けた。「藤原氏の不逞を歴史に見る」といふ怪文書の作成者だと疑はれ、拘留された。題名の通り、藤原氏の不始末を列記したもので、子孫の近衛文麿批判の底意があると見られる。
 大竹の元にも届いたが、有志と対策を相談するため少部数を写しただけだといふ。
 自白すれば皇紀二千六百年記念式典にも参加してよいと言はれたが、大竹が取引に応じず、結局列席できなかった。