三浦義一「敵を殺すのが勝利ばかりでない」

 続き。昭和17年半ば、上海で情報活動をしてゐるといふ岡村中佐が接触してきた。
蔣介石側が日支和平を求めてきたので、実現したいといふ。その条件の一つが、日本側は頭山翁を派遣すること、もう一つが東条内閣を打倒することだった。
 小田は頭山翁との仲介役を頼まれた。この計画は大西瀧次郎や末次信正ら海軍上層部も動いてゐた。倒閣には秘策がある。内閣は勝ったことばかり発表し、負けた戦を隠してゐるので、それを暴露し昭和天皇にも上奏する計画だ。
 頭山翁も承諾した。

先生と二人きりで対談して居た折り先生が歴代の総理大臣は天皇の認証式が済んで二、三日後には誰れでもが俺の所に来るが東條という男はコザッタヤネーと言われたことを思い出した。

 ともある。この新総理の頭山詣で、本人が言ってゐるから都市伝説ではなかったのかも。
 和平運動は憲兵隊にばれて、潰されてしまった。
 
 小田十壮自身が計画したのが、アメリカ本土上陸作戦。

米本土をそのままにして、南方の島々を攻撃して勝った勝ったと言っている。成る程一度は勝っておるのだろう、だがまた米国に取り返えされているではないか。こんな事をしていて最後の勝利が得られると思っていますか、東條さんは戦争は下手だ。

 と思ってゐた。案も考へてある。

一、浪人三、四百名を動員して飛行場奪取の斬込隊を編成する。
一、飛行場奪取の後は敵の飛行機と敵の爆弾で以下の土地を爆撃する(パナマ運河、油の備蓄場、東西縦貫鉄道及び鉄橋、他の飛行場、ワシントン、ニューヨーク、等の主要都市及び公共建物の爆撃)

と5項目が挙がってゐる。梅津美治郎参謀総長まで伝はったが、船も人も足りないし、時期尚早等と却下された。
 そこで南方の油だけでも確保したいと船を探すが、出光産業が先に買ってゐたり、他の船も事故や爆撃にあってうまくゆかない。流石出光。
 参謀総長杉山元に代はったので、上陸作戦を今度は文書で具申。陸海軍、内務省にも届けた。斬込隊は三浦義一に手配してもらふことになった。
 海軍軍令部から呼び出されたので行ってみると、「なぜもう少し早くこの案を出して呉れなかったのだ、今ではもう遅い」と言はれた。もう昭和20年の夏だった。
 小田は顚末を三浦義一に報告。三浦は心中を話して残念がった。

米本土を爆撃しなくともよい、上陸して数百人が整列して腹切って、戦争のあり方を彼等に教えてやる。敵を殺すのが勝利ばかりでない、自決して戦争を勝利に導く戦略のあることを知らしめるよい機会ではあったものを、大和魂の見せどころであったになー」と嘆息していた。