勲章貰った政治ブローカー、茂木久平

 『日本及日本人』昭和42年8月発行の盛夏号に載ってゐるのが茂木久平の随筆「ナショナリスト」。肩書きは国際善隣倶楽部評議員。大正15年、東京市会議員選挙当選を祝って高畠素之から送られた手紙に「旧知だけでも祝賀会を催したいと思ふ、此際知識ゴロの後援者を集めておくことも損でもあるまいと思ふから…」とある。知識ゴロは文筆や学問に携るものといったほどの意味。茂木自身は高畠から政治ブローカーと呼ばれた。
 どちらも偽悪家高畠ならではの言ひ廻しで、茂木も政治ブローカーを自認してゐる。
 高畠は民主主義嫌ひで、「そんなもので社会革命はできない…政治ブローカーの巣!」と罵ってゐる。
 
 この号は中々充実してゐて、少し前に載ってゐるのが江口航元東京新聞政治部記者の「田中隆吉と国際検事団(上)」。昭和18年、もと三浦義一の家だったといふ田中邸を訪問したりしてゐる。
 実はここにも茂木久平が出てくる。戦後、福家俊一が大陸の麻薬の件で田中に密告されたと言って憤慨。しかし江口が福家の誤解を解いてやると、茂木も「田中がそんなけちなことをするわけがない」と、田中を擁護してゐる。
 茂木は「なにかの事情」で内地を逃げ出し大陸の竜山にわたり、田中の助けを求めた。その伝手で漢口の特務機関の班長か何かに従事し、勲章ももらったといふ。