折口信夫から「ハクショ なんぬかす」の手紙をもらった高階廣道

 やっと涼しくなった。

『橿の生』は高階廣道の歌集。奥付なく、あとがきは昭和32年2月7日付。父の高階研一は廣田神社、札幌神社、諏訪神社皇典講究所橿原神宮に勤めた。

 廣道は大正14年1月生まれ。名前は廣田の廣、札幌神社のあった北海道の道から取られた。略歴では1月5日生まれだが、研一の追悼文の15日が正しいだらう。昭和18年9月、國學院大學予科修了、翌月海軍予備学生。航空隊では彗星に搭乗するなどした。20年9月1日召集解除、22年2月7日永眠。

 折口信夫から短歌の指導を受け、この歌集も折口の命名と選。歌の前に折口の文章が置かれてゐる。

戦ひ敗れて、清い瞳を見凝して、老い人の待つ家に来て、退転して行く世を眺めながら、死んで行く。此ほど今の世に深い、美しい生があるだらうか。

  退転して行く世といふのを廣道の歌から示す。

戦につとめし人の つぎつぎに罪糺さるゝ時は来にけり

街頭に 媚び粧へる女居て、髪かき上げぬ。ちゞらせる髪 

  歌の後に父母妹兄が故人の思ひ出をつづってゐる。一年祭は歌のみで、十年祭に際して加へられた。子供の頃から病弱だったこと、岩波文庫で文学に親しんだことが知られる。兄、成章のことば。

戦争中優越感といふやうなものを持たなかつたから敗戦後も卑屈にならず新しい時代に利己的なうろたえ方もなく、たゞ祖国の守りに任じ国の力が尽きたので戦いを休めたのだという、さつぱりした気持以外何物もなかつたようだ。 

  折口から廣道への見舞いの手紙も紹介されてゐる。

…病んでゐても、若い元気を持つたあなたなどは、羨しい。もう私や、お宅のおやぢさまのやうになつたら

 ハクシヨ なんぬかす

だめだめ 

 ユーモラスな手紙に廣道は苦笑してゐたといふ。

 ところでこの「なんぬかす」といふのが謎の言葉で、頭を捻ってしまったが、暫くして見当がついた。何をぬかす、つまり何を言ふか、といふことではないか。くしゃみをしたあとにチクショウとかの言葉が続くことがある。これはくしゃみを起こした悪霊に、魂を持っていかれないやうにするまぢなひ言葉。折口はくしゃみをした後に、何ぬかす、と言ってゐたのではないか。