松居松葉「新聞を巧く作るのは村井弦斎と黒岩涙香の二先生」

 


 『新聞雑誌記者となるには?』は森本巌夫著、新潮社、大正7年12月13日発行。書名の通り、新聞記者、雑誌社の記者になるにはどうすればよいかを案内する。特に現在の新聞社を訪問し、実際の内情を描くことに注意したとある。

 記者の仕事を紹介する中に、社会部所属として相撲記者、演芸記者などと並んで飛行記者とあるのが目を引く。これは記者自身が飛行するわけではなく、陸海軍の飛行隊、民間の飛行協会にある飛行倶楽部の詰所に出入りし、飛行機にまつはる情報を収集する。「飛行界のニュースは、社会部の重要な材料でなくてはならぬ」。

 新聞記者の採用方法は現代と異なる。筆記試験で採用した者の定着率はよくない。新聞記者に必要なのは常識や幅広い交際で、美文家や学者のやうな人には務まらない。一番は知人の紹介で、投書や通信を投稿して売り込む者も社内で成功しやすい。

 雑誌記者について描かれるのは珍しい。今では雑誌記者と言はずライターとか編集者とかいふ。

 新聞の文章は速さと読み易いことが重んじられる、が、雑誌の記事は正確と美しさとが重んじられる。 

 

  瀧田樗陰が談話筆記の仕方を論じてゐる。

曽て福本日南氏は某紙の記者に口授してゐるうちに、「浪人の親分頭山満」と云つたところが、その記者は「トウヤマとは、遠い山と書きますか?」と問ひ返したので、もうその話をするのが厭になつて、そこまでで話をやめてしまつたといふ事だが、苟も雑誌記者たる位の人は、普通一般人の知つてゐる名前の書き方も分からないやうでは、お話にならない。 

 頭山の名前は一般常識なので、知ってゐなければ記者の資格がないといふ趣旨の話を紹介してゐる。

 このやうな逸話が短い活字で随所に挟まれてゐて、読者を飽きさせない。

 この書には初めに徳富蘇峰からの手紙、千葉亀雄の随筆「新聞記者の手帖から」も載せてゐる。蘇峰のは12行だけだが、千葉のは12頁に亘ってゐる。

 ところがそのあとに目次があって、目次には両氏の項目が載ってゐない。目次の終はりは「(附)どんな人を雑誌記者として歓迎するか」で、増田義一と長谷川天渓が書いてゐる。

 その次に「新聞雑誌記者経験談」の表題で、杉村楚人冠松崎天民青柳有美ら10人が自身の経歴を記してゐる。本文の方を見ると肩書が載ってゐる。

 この経験談もさっきの千葉の文章もNDLではみつからないやうになってゐる。特に経験談は新聞・雑誌記者にどういふ経緯でなったのかを回顧した好個の資料なので惜しいことになってゐる。

 前萬朝報社会部長の松居松葉は「苔のつかぬ私の生涯」。松居は中央新聞に居たとき、村井弦斎に呼ばれて報知新聞に入った。弦斎は遅筆であまり社内では文章を書かなかったが、経営の手腕があった。

 

彼は如何なる材料でも読者に面白く見せる術を知つてゐた。今でも私は新聞を巧く作るといふ手腕に於ては村井弦斎黒岩涙香の二先生に止めをさすと私かに信じてゐる。

 

 森田思軒の勧めで移った朝報社には10年間勤務し、新聞や演劇を学びに洋行した。その時に神経衰弱になって、日本に帰った時には「殆ど頭が腐つてしまつた」。大病もして、ここ10年は自暴自棄で「文字通りに食つて、寝て、遊んで、世の中を夢と過ごして来た」。談話の冒頭でも「私は不幸にして学問をしないで来たものだから、自信がなく愚図々々してゐる」と落ち込んでゐる。

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