衛藤雅「霊界生活では勉強に専念できる」

 『守護霊の研究  誰にも必ずついている』は衛藤雅(えとう・ただし)著、サンロード発行、平成3年1月発行。

 11章にわたり霊界のことを記したあと、付録として「著者自伝『満州そして軍神山での修業』」を載せてゐる。衛藤は明治38年4月、大分県生まれ。血盟団事件の指揮者となるが、これは一人一殺とは別で、終戦時に大陸でソ連軍宿舎を襲撃した事件。引き揚げて兄の旅館を手伝った。兄の衛藤三千雄は18歳年長。川面凡児の高弟で稜威会の布教師をしてゐた。雅は兄から薫陶を受け、招霊や振魂に励んだ。

 霊界の事情は、招いた霊が教へてくれる。紹介されてゐる守護霊は江戸時代の武士など。これは霊界でも修業をする必要があり、われわれの守護霊になるためにはそれだけの年月がかかるため。現界のわれれは振魂で周波数を合はせて霊と交信する。守護霊は指導霊の力を借りて現界の悩みを解決してくれる。

 徳川時代の霊が現代の知識を持ってゐる筈がないので、霊界の話など創作であるといふ投書が来たが、これには次のやうに反論できる。霊界では学問に専念でき、何百年も研究が進展する。名医も霊界にやってくる。徳川時代の漢方だけでなく、西洋の医学も学んでゐる。現界の数十年しか学べない医者よりもはるかに優ってゐるのだといふ。

 霊界には医学だけでなく、さまざまな研究団体がある。それが類魂団。

 類魂団というのは同一趣味をもつ霊の集団ですから、歌、舞踊、音楽、書画、医学、文学などすべてに研究集団があり、勉強に余念がないのです。霊界生活では衣・食・住の心配がいらないので、勉強に専念できるのですから、その研究の深さが想像されます。

 このやうな専門家集団があり、われわれに有益な助言をしてくれるのだ。降霊の実例として、徳川家光の時代に生きた松平勝親の話が出てくる。岡崎の伊賀八幡宮宮司をしてゐて、霊界では天文学を研究してゐる。松平は現在の神社界を憂へ、本来の神道がいかに優れてゐるかを力説する。

 現在の神社仏閣は賽銭または寄付を要求し、おみくじを売り、神社を表面に置いて営利事業に没頭している。嘆かわしいことである。(略)

 神道がいかに清く、いかに美しく、いかに明るく、いかに楽しく秀でているかを、他教に比較して説けば判然とするのである。神道こそ、大宇宙の神髄であり、源泉である。世界各国の人類が神道を奉ずるようになったとき、神の声を聞き、世界平和は訪れる。

 神社に職を奉ずるすべての神官は、現在のごとく神社の経営に寝食を消費せず、惰眠を貪らずに古神道を研究して、声高らかに世界の人たちに日本神道を伝え、一日も早く世界平和が訪れるように努力してほしい。

 そのほか、滝沢馬琴が書いたといふ長寿の古文書、登山家が危難を逃れた辟邪の符の実物が載ってゐる。辟邪の符には短い象の鼻のやうなものを持った動物が描かれてゐる。