新社家には神罰下ると痛罵した鈴木義一

 『みかげ』は鈴木義一著、昭和59年9月発行、賀茂御祖神社々務所発行。非売品。著者の喜寿神職身分特級昇進、神職生活50年を祝賀して編集、発行された。序文は二條弼基、黒神直久。

 著者は明治40年7月、愛知県生まれ。22年間神宮に務め、部長や関連施設の長を歴任した。のち賀茂御祖神社宮司、名誉宮司

 本書には各種機関紙誌への寄稿、ラジオ放送の内容などを集めた。教学的なもの、神職の心構へを説いたものが印象に残る。

 「心は神の如く身体は野獣の如くに」は、冷蔵庫の鮒が俎板の上で息を吹き返したことをヒントに、神職も頑健であれと論じたもの。

 「混迷下に立つ神社人」は天皇論。ある講習会での青年神職の言葉を紹介してゐる。「…僕が思ふには、今の日本は天皇と独占資本家とがぐるになって無産大衆を苦しめてゐる実情なので、こんな天皇制はむしろ無きに如かずですね。」。実は鈴木自身も若いころ、似たやうな考へを持ってゐた。古社の祭祀には、大和朝廷確立以前のものもある。それならば天皇を離れても民族があれば神社神道は成立するのではないかと考へてゐた。しかしそれは戦後民主主義に幻惑された過ちで、現在は日本と天皇は不可分一体に考へるやうになったとしてゐる。

 「新社家の出現」は、憤りをもって戦後の新社家を非難する。

果して利己主義や特権階級意識にもとづく祀家の世襲化や社家の新造が御神意に叶ひうるものとは思はれない。而も大社・名社に偶々終戦時に職を奉じてをり、人事に強大な力を有する機関を失った機会に、自家の経済的、地位的安全を希ふの余り、居坐りをきめ、而も子々孫々にその恵まれたポストを継承せしめようと画策するが如きは、清浄正直を要求せられる神の御心に悖り、神罰を蒙むること火を見るよりも明らかである。

 長い歴史のある社家については意義を評価してゐるが、戦後の新社家は御神意に叶はず神罰を受けるに違ひないと痛罵する。その後も、老先輩が大岩のやうに立ちふさがったり、有能でない子弟を要職に据ゑたりする不祥事は許されないと指弾してゐる。

 各文章には発行物の発行年月日が付いてゐるので、著者が何歳のときに書いたか分かるやうになってゐる。