吉田秀雄「正力、前田の爪の垢を煎じて飲め」

 『新聞時代』は新聞時代社発行。昭和33年3月発行の第7集は3巻1号。前田久吉が作家の川口松太郎と対談してゐる。題して「新聞の鬼“前田久吉”」。川口の質問に前田が答へる形になってゐる。

 東京進出について、次のやうに語る。

東京は政治の中心、大阪は経済の都市ということできておったが、戦後はすっかり変って来ましたね。東京重点になって来てるんですね。そうすると、大阪のごときは、経済は縮まってきたし、なにもないところです。(略)大阪だけで新聞をやっているということは無意味だ。

 これからは大阪の発展は望めない。それで経済的にも東京で新聞を発行するのだと語ってゐる。

 追放中は苦しく、身体的にも健康を害した。格子なき牢獄だったと嘆きながら、解除後にアメリカ人の教授が占領政策の聞き取りに来たと回想。感心するところもあるといふ。

アメリカ人は面白いなと思った。一方で追放をやっておいて、他方では、その裏を批判し、調べる。どうも民主主義が徹底しておるな。

 対談時は東京タワーの建設中。まだ命名されず、日本電波塔といってゐる。増上寺に立地した理由として、南洲庵や紅葉館跡が残る由緒のあるところといふ点を挙げ、外国人観光客を迎えることもできる、と効用を論じた。

 この対談の前文に、電通の吉田秀雄社長による前田久吉評が載ってゐる。

「人間仕事をする限り、事業をやる限り、その事業に対して、あくなき貪婪、貪欲というものが、なかったら仕事を完成することができない。前田久吉の残した業績というものは普通の考え方、普通のやり方では残るものじゃないぞ。諸君は前田久吉さんの爪の垢を煎じて飲め、おれは爪の垢を煎じて飲んでいるのだ、この人には頭はあがらん」

 普通でない考へとやり方で事業に邁進する前田。そんな前田を見習へと社員たちに言っているのだといふ。これは前の号の対談に載ってゐるのだといふ。その第6集、昭和32年11月号の2巻4号を見ると、確かに「広告の鬼“ワンマン吉田”に聴く」が載ってゐる。新聞の鬼が前田なら広告の鬼は吉田。対談相手は深見和夫読売新聞社業務局次長広告部長。しかし次号で紹介された文言と、多少異同がある。

…諸君は正力松太郎さん、前田久吉さんの爪の垢を煎じて飲め。おれは爪の垢を煎じているのだというた。この二人には頭はあがらん。

 間違ひではないが、正確でもない。吉田は読売の広告部長との対談なので、正力と前田を並べて、共通した点を高く評価してゐる。これを次号の前田の対談記事では、正力の部分が省略され、「この二人には頭はあがらん」が「この人には頭はあがらん」に編集されてゐる。編集の裁量の範囲内かもしれないが、これでは前田だけの爪の垢を煎じて飲んでゐるやうに読める。実際は、正力と前田の両方のを飲んだり飲めと言ったりしてゐたのだ。

 この「爪の垢を煎じて飲む」といふ言ひ回し、最近あまり聞かないな。