志賀直哉から読物の執筆を勧められた三橋一夫

 『酔っぱらい健康法』(昭和50年1月、學藝書林)は三橋一夫の著。手元のものは吉田健一宛ての献呈本。吉田健一といへば吉田茂の息子の英文学者。昭和49年に『酒肴酒』を番町書房から出してゐる。裏表紙に吉行淳之助による紹介文が載ってゐる。これによれば、

 三橋一夫はふしぎなお人で、大学を卒業してヨーロッパに留学し、帰ってから経済学の先生になる予定が小説家になってしまった。小説家には非力なのが多いが、氏は柔剣道、クサリガマ、棒術、杖術など合計数十段の段位をもつ豪傑である。

 もとは『新青年』にも執筆した小説家だが、のちに健康に関するハウツーものを多く書くやうになった。武道の心得があるのは「先祖が幕府講武所の武術指南役をしていた」関係だといふ。書名にとらはれず、著者の回想や周辺人物が随所に描かれてゐる。
 戦争直後の新聞社にゐた万葉調歌人のT・G、児童劇作家のS・Tなどとアルファベットで示されてゐる。S・Tは斎田喬か。S・Nは小説の神様とあるので志賀直哉とわかる。
 戦争中、ひょんなことで志賀と知り合った三橋。志賀は以前、三橋が『М文学』(三田文学のこと)に書いた文章を覚えてゐて、面白がってくれた。三橋は読物を書くやうに勧められる。

 先生は「文学作品」のことを「創作」と言われ、「大衆作品」のことを「読物」と仰言る。
 私などから見ると、純文学作品と思われるものまで、先生は「あの読物は」と、澄ましておられた。
 「きみ自身のことを書くんだよ。きみ自身、とてもオモシロイんだから、そのきみが、オモシロがって、きみ自身のことを書いてごらん」
 私は、戦前に、よく可愛がって下さった、酒好きで、手品のお上手な、大詩人H・S先生からも、まったく同じようなことを言って、自分のことを書くようにすすめられたことがあった。

 文学作品の創作に対して、ノンフィクションや随筆のやうなものを読物としてゐる。手品の好きな大詩人といふのは萩原朔太郎だらうか。
 酒飲み仲間の話だとして、テレビや新聞に登場するのは地球人ではなく、宇宙人だといふ説を詳しく紹介してゐる。テレビの企画を立てるのも記事を書くのも実は宇宙人だといふ。

 新聞に、何の関係もない、他人の奥さんを人質にして、警察官を何人も射殺した男が、捕ったとき、留置所で、「静かに瞑目端座して、食事は平然自若として、一つぶ残らず、きれいに食べた」と、感心したように書いてあったが、そんな記事を書いた人も、多分、宇宙人じゃろう。