西郷徳男「ピントはずれもいいとこでした」

 『語りつぐ昭和広告証言史』は渋谷重光著、宣伝会議発行、昭和53年5月発行。表紙の文字の上部が切れてゐる。書名も凡庸だが、実際は『戦前戦中戦後 広告業界うらおもて』といったところ。広告業界の関係者の証言集で、現代とかけ離れた業界の様子を伝へる。戦時中についても、軍部に協力して存分に実力を発揮でき、奇妙な明るさがあったといふ人も登場する。

 戦前の広告取りは高級乞食などと揶揄されながら高給取りでもあった。給料で家を建てる者も珍しくなかった。酒井謙吉は電報新聞社、神戸新聞社などに勤務。副業について証言してゐる。

「裸体写真」の通信販売もやったね。これは、そのものズバリだと刑法にふれるから、上野の帝展に出品した裸体画や彫像を写真にとってね、それを「裸体写真」といって売るんだ。

 上司も同様のことをしてゐて、お咎めなしだった。 

 玉川一郎は作家になる前、博文館、伊東屋コロムビアで広告に携はる。広告代理店からの接待の様子を証言してゐる。

飲み食いしているうちに、しばらくして、「どうぞ」っていうんだよ。次の間をみると薄暗くして布団がしいてあるんだ。(略)戦前はでたらめな時代だったね。

 西郷徳男は、化粧品の中山太陽堂で働いてゐた。社長の中山太郎は広告好きで有名だったが、西郷は中山の考へに疑問を持ってゐた。広告を出稿するラジオ番組が「親鸞」「聖徳太子」などだったから。

化粧品会社は、若い女性を相手に商売するとこでしょう。それが「親鸞」ですからね。ピントはずれもいいとこでした。

 中山社長が戦後の風潮に日本精神を注入しようしたのだらうと推測しながらも、ついに破産したことを指摘してゐる。